なぜ学ぶのか?
れんこんnote 017
「なぜ学ぶのか?」という問いへの回答案
皆さんは、「なぜ学ぶのか?」と問うたことがありませんか。
私は大学受験勉強をしていた50年以上も前のころ、「こんな勉強をしていて何の役に立つのか?なぜ学ぶのか?」と疑問に思い、父に尋ねたことがあります。
中学校の教師だった父の回答は、「大学に入ってから、自分で考えろ」でした。
大学生のときには考えず、教師になってから、時折思い出したように考え続けてきました。
「なぜ学ぶのか?」という問いへの回答としては、次のような答えが考えられます。
〇将来、実際に役に立つことがある
〇人生の選択肢が広がる
〇自分で考える力が身につく
私は、上記の回答では納得できませんでした。
〇人には学びたいという本能がある
という答えが一番ましですが、すっきりしません。
もし、子どもや生徒から「なぜ学ぶのか?」と聞かれたら
もし、あなたがお子さんや生徒さんから「なぜ学ぶの?」と聞かれたら、どう答えますか。
私は、幸運にも聞かれたことがありませんでしたので、答えずに済んできました。
自分が問う側にいたとしたら、どんな答えだったら満足するでしょうか。
私だったら、どんな答えにも納得しないと思います。
もし、上手に説明されて、納得させられたとしても、その納得を壊そうとするでしょう。すべての答えを否定したい衝動を抑えられない気がします。
答えがほしくて「なぜ学ぶのか?」と問うているのではありませんでした。
どんな答えでもすべて叩き壊したくて問うていた自分に気がつきました。
問わずにいられないから、問うのです。
では、なぜ問わずにいられないのでしょうか。
不満だから、「なぜ学ぶのか?」と問う
私の場合、受験競争に駆り立てられ、勉強を強いられていることに不満が溢れ出し、「なぜ学ぶのか?」と問うていました。
少しも面白くなくて、嫌々学んでいるから、子どもたちは「なぜ学ぶのか?」と問うのではないでしょうか。
「なぜ学ぶのか?」という問いと、「なぜ生きるのか?」という問いは同じ問いです。
どちらも答えを求めているのではありません。
納得する答えが絶対に得られないと知りつつ、あるいは、どんな答えも頑固に拒否する姿勢で、「なぜ学ぶのか?」「なぜ生きるのか?」と問うているのです。
ワクワク、ドキドキしながら学びたいのです。
ワクワク、ドキドキしながら生きていたいのです。
問いに答えない
「なぜ学ぶのか?」「なぜ生きるのか?」という問いに、回答という形で答えてはいけません。
ワクワク、ドキドキする学びに、子どもたちを引き込んでしまえばよいのです。
ワクワク、ドキドキする生き方を、子どもたちに見せてあげればよいのです。
でも、「言うは易く、行うは難し」です。
一生かけて、全力で取り組んでも、実現できないかもしれません。
実現できなくても、追求し続ける姿勢を子どもたちに示してあげられるようでありたいと思います。
追伸
「なぜ学ぶのか?」という問いに対する答えとしては、「自分で考えろ」が一番シンプルな答えかもしれません。
この答えを聞いたとき、私ははぐらかされたと思いましたので、質問した人は不満だと思います。
でも、何十年もたってから、一番本質を突いた答えかもしれないと思うようになりました。
「なぜ学ぶのか?」「なぜ生きるのか?」という問いの答えは、他人に教えてもらうものではなく、納得するまで自分で探すもののようです。
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