「桃太郎」を読み解く/昔話「桃太郎」
れんこんnote 077
「桃太郎」を読み解く/昔話「桃太郎」
昔話「桃太郎」のあらすじ
昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいて、おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきた。
その桃を拾って帰ったおばあさんが、おじいさんと桃を切ってみると、中から元気のいい男の赤ちゃん。
子どものいなかったおじいさんとおばあさんは大喜びで、男の子を桃太郎と名付けて育てた。
桃太郎はスクスク育って、強い男の子になる。
ある日、桃太郎は鬼退治に行くと言いだし、おばあさんにきび団子を作ってもらって、鬼ヶ島へ出かけた。
途中で出会ったイヌは鬼退治のお供をするというので、きび団子をあげ、次に出会ったサルやキジも鬼退治のお供をするというので、きび団子をあげ、仲間になった。
鬼ヶ島では、鬼たちは酒盛りの真っ最中。
そこへ桃太郎たちは攻め込み、イヌはかみつき、サルはひっかき、キジはくちばしで鬼の目をつつき、桃太郎も刀をふり回して大あばれ。
奮闘した桃太郎たちは何とか鬼を退治して、おじいさんやおばあさんの住む村に帰っていった。
昔話「桃太郎」を読み解く
昔話「桃太郎」を読み解いてみます。
読み解き方としては、疑問に思ったことを探る方法を取ってみることにしました。
最初の疑問は、桃太郎が鬼退治に行った理由です。
桃太郎が鬼退治に出かけた理由
桃太郎はなぜ一人で鬼退治に出かけたのでしょうか。
鬼が村に来て悪さをするので、退治したいという気持ちになるのはわかります。
でも、普通、一人で鬼退治に行こうとは思わないでしょう。
村の若い衆と一緒に協力して鬼退治をしようと考えるのが普通です。
でも、桃太郎は一人で鬼退治に出かけました。
なぜでしょうか。
その理由を、桃太郎が孤児だったからではないかと、私は考えました。
桃太郎はドンブラコと川を流れてきた孤児でしたから、育ててもらった恩を強く感じていました。
しかし、おじいさんとおばあさんは子育ての見返りを求める人ではありません。
ですから、桃太郎は育てていただいた恩を、村の人々に鬼退治という形でお返ししようとしたのではないでしょうか。
桃太郎はとても力持ちでしたから、一人でも鬼を退治できる自信があったのでしょうし、村の若い衆を鬼退治に巻き込みたくなかったのでしょう。
人は皆、一人で生まれ、縁あって親子となり、育ててもらいます。
沢山のことをしてもらっています。
大人になったら、今度はしてあげる番になります。
いただいたものは誰かに返さないと、生き物の世界は回っていきません。
自分のことだけで精一杯の大人ではいけません。
桃太郎は、そうしたことを考える大人になっていったのだと思っています。
桃太郎はいつリーダーになったのか
次の疑問です。
桃太郎はイヌ、サル、キジのリーダーとなって鬼を退治したのですが、桃太郎はいつリーダーになったのでしょうか。
桃太郎にはリーダーになる素質があったと思うのですが、素質が開花していたとは思えません。
村の若い衆のリーダーとして活躍した形跡がありませんから。
では、桃太郎はいつリーダーとしての資質を開花させたのでしょうか。
それは、イヌ、サル、キジがお供、つまりフォロアーになったときだと考えます。
ついていこうとするフォロアーがいなければ、リーダーは生まれません。
フォロアーたちが、桃太郎のリーダーとしての資質を開花させたのです。
イヌ、サル、キジが桃太郎のフォロアーになった理由は、桃太郎の鬼退治という志がすばらしいと思ったことや、自分たちの能力を活かしてくれると思ったこと、桃太郎に太陽のような「パワー」があると思ったこと、桃太郎が信頼できる人であると思ったことなどでしょう。
しかし、桃太郎が始めからそうしたリーダーであったかというと、違うのではないかと思います。
フォロアーであるイヌ、サル、キジが、桃太郎の志がすばらしいと思ったから、桃太郎の志は強くなったのです。
皆が桃太郎に太陽のような「パワー」があってほしいと願ったから、桃太郎のパワーが増していったのです。
リーダーはフォロアーがいるから成長していくのです。
フォロアーの重要性
フォロアーたちが何をすばらしいと思うかがとても大事です。
フォロアー自身が何が大切でどうしたらいいかを考えなければ、リーダーに何を期待すべきかわかりません。
リーダー任せでは、リーダーはよいリーダーになっていきません。
リーダーを育てるくらいの気概を持って。フォロアー自信がよく学び、よく考えることが大切です。
しかし、よく学べ、よく考えよ、といわれても、何を学んだらよいか、何を考えたらよいか、よくわからないという人もいるでしょう。
そもそも自分は何をしたいのかさえ、はっきりしないという人もいるでしょう。
心から大切に思える人がいない、愛せる人がいない、という人もいるかもしれません。
心から愛せる人がいないという人のためのアドバイス
ここで、少し脱線して、心から愛せる人がいないという人のために一言アドバイスしましょう。
自分の心の主人公は、自分自身です。
心からこの人を大切にしよう、一生愛し続けようと決心し、実行することです。
自分の心は自分で動かすもので、他人に動かしてもらうものではありません。
自分は人を愛せるだろうか、愛せないだろうかなどと考えるのは、愛することを他人事にしています。
愛し続けるんだと自分で決めることです。
自分の機嫌を自分で直すことができるくらいでないと、本物の大人とは言えません。
何を学んだらよいかわからないという人のためのアドバイス
脱線しました。
何を学んだらよいか、何を考えたらよいか、よくわからないという人のためのアドバイスに戻りましょう。
「心を動かすには、体を動かすといい」という法則の応用です。
具体的にいいます。
目の前の仕事や勉強に本気で取り組んでみなさい。
フクシマや能登半島に行ってみなさい。
海外に出てみなさい。
そこで、自分の体が何を感じるか、何をしたいと思うか、試してみなさい。
仕事に就いたら、これはと思う先輩につきまとってみなさい。
そこで、これは面白そうだ、この人は本物だと感じたら、飛び込んでみるか、あるいは引きずり込まれてみるかするといいでしょう。
人はやったことよりも、やらなかったことを後悔する生き物です。
しかも、やらないでいると、あっという間に時は過ぎていきます。
じっとしていないで、体を動かし、人と出会い、自分の今いる世界を思い切り味わっていまいましょう。
桃太郎の最初のお供はなぜイヌだったのか
ところで、桃太郎の最初のお供はイヌでした。
なぜイヌが最初だったのでしょうか。
それは、粘り強く最後までやり抜く意志力がもっとも重要だからです。
第13代米国大統領のカルビン・クーリッジがこんな言葉を残しています。
この世に、粘り強さに代わるものはない。
能力でもダメだ。すばらしい能力を持ちながら、成功できなかった人間など山ほどいる。
天才でもダメだ。「不運の天才」は、今や決まり文句と言ってよい。
教育でもダメだ。世界は教養ある落伍者であふれているではないか。
粘り強さと決意、それだけがすべてに打ち勝つ。
粘り強さだけはお前にはかなわない、といわれるような人になりたいものです。
昔話「桃太郎」を私が抱いた疑問から読み解いてみました。
皆さんは、昔話「桃太郎」にどんな疑問を抱きましたか。