大切なものを大切にする/昔話「舌切り雀」
れんこんnote 089
大切なものを大切にする/昔話「舌切り雀」
昔話「舌切り雀」のあらすじ
むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいた。
おじいさんのお弁当を食べたすずめを、おじいさんは「おちょん」と名前をつけて可愛がったが、おばあさんは面白くない。
ある日、おばあさんが洗濯をしようと鍋で煮たのりをおちょんがのりをなめてしまう。
怒ったおばあさんはおちょんの舌を切って追い出してしまう。
おじいさんが帰って来ておちょんが居ない訳を聞くと、かわいそうがって探しに出掛ける。
おちょんを探す途中、牛洗いに牛を洗った水をお椀に3杯飲んだら教えてやると言われごくごく飲み、馬洗いに馬を洗った水をお椀に5杯飲んだら教えてやると言われごくごく飲み、菜洗いには菜を洗った水をお椀に7杯飲めと言われてごくごく飲んで、そうしてやっと竹やぶのなかにいると教えてもらい、おちょんに会うことができた。
おちょんはおじいさんをご馳走や踊りで楽しませ、つづらを2つ運んで来る。
おじいさんは、自分は年寄りなのでと軽い方をもらって、家に戻ってつづらのふたを開けると、中には宝がびっしり。
おじいさんとおばあさんは大喜びしたが、おばあさんは「どうせなら重い方のつづらを貰って来れば良かったのに。」「私が貰って来よう」と竹やぶへ出掛けて行く。
おばあさんはご馳走なんかよりつづらを出せと重いほうのつづらを催促し、重いつづらを背負って帰る。
途中、我慢出来ずにつづらのふたを開けると、つづらの中から蛇やらむかでやらミミズやら気持ちの悪い物がぞろぞろ、にょろにょろ。
慌てて逃げようとした時はもう遅く、おばあさんは蛇にかまれ、むかでにさされてあっと言う間もなく死んでしまった。
お話にはいろいろとバリエーションがあり、おじいさんが馬や牛を洗う話だったり、最後におばあさんが死なない話もあります。
「舌切り雀」の疑問
「舌切り雀」のお話は、心優しいといいことがあるよ、欲張りはいけませんよ、というお話のようですが、いくつか疑問が浮かびます。
おじいさんはなぜ雀をかわいがったのか、おばあさんと仲がよくなかったからなのか。おじいさんはなぜ、強欲なおばあさんと長い間夫婦でいられたのか。
優しいおじいさんの側にいて、おばあさんがなぜ強欲になったのかも疑問です。
他にも、おちょんはおじいさんが好きですよね。
その好きなおじいさんの奥さんを死なせてしまっていいのか、疑問です。
最大の疑問は、このお話が伝えたいことです。
欲張りはいけない、拝金主義はいけないといっているようですが、おじいさんがもらったものは金銀財宝です。
金銀財宝をもらってめでたしめでたしでは、拝金主義みたいなものです。
「舌切り雀」の話が伝えたかったこと
そこで、「舌切り雀」の話をおちょんがおじいさんを2回試したお話と考えてみました。
1回目は、大小のつづらを選ばせたところです。
このとき、おじいさんは小さなつづらを選んだので、金銀財宝の誘惑に負けませんでした。
2回目は、金銀財宝を贈って、金銀財宝に心を奪われるかどうかを試しました。
そのとき、おばあさんが金銀財宝に心を奪われ、おじいさんはおばあさんを止められませんでした。
その報いがおばあさんの死でした。
お話が終わった次のページにおじいさんがひとりで寂しそうに畑仕事をしている挿絵がある絵本があります。
2回目の試しで、おじいさんは金銀財宝に負けてしまいました。
結局、大切なものを大切にできていなかったということです。
そう考えると、「舌切り雀」の話が伝えたかったことがわかったような気がしました。
「舌切り雀」のお話を現在の世界に写してみる
「舌切り雀」のお話を現在の世界に写してみると何が見えるでしょうか。
グローバル化が進み、どんどん格差が広がっています。
金持ちと貧乏な人の二極化が進んでいます。
世界的に拝金主義も広がっているように見えます。
私たちは何を大切にしてるのでしょうか。
欲張りはいけない、拝金主義はいけないと思うだけでは、大切なものを大切にできません。
必要なお金を稼ぐことができなければ、大切な人を大切にできません。
でも、お金を稼ぐことばかりに心が奪われては、大切な人を大切にできません。
私たちは大切なものを大切にできる人になっているでしょうか。
必要なお金を稼ぐ力をつけているでしょうか。
お金に心を奪われて、大切なものや人を失わないようにできているでしょうか。
少しずつ、大切なものを大切にできる人になっていきたいものです。
どうすれば大切なものを大切にできる人になれるでしょうか。