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やりたいことが見つからない

れんこんnote 019


私の「やりたいことが見つからない」経歴

 私は子どもの頃から大学生の頃まで、ずっと「やりたいことが見つからない」ままでした。

 小学生の頃は、「将来の夢は何ですか?」と聞かれることが苦痛でした。夢なんてありませんでしたから。
 「将来、何になりたいですか?」と度々聞かれるので、とても困りました。「特にありません」と答えてはいけないことは知っていましたので、適当に「科学者になりたい」などと言ってごまかしていました。

 中学生の頃は、進路指導というと進学する高校を選ぶことでしたが、選択の余地がありませんでしたので、困ることはありませんでした。進級と同じ感覚で、高校へ入学しました。

 高校生のときには、「やりたいことが見つからない」ので、どこの大学を受験するかで悩みました。
 結局、入学してから学科や専攻を決められる大学へ行き、2年次に数学を専攻することに決めました。数学が一番楽に理解できそうに思えたので専攻しましたが、大きな間違いでした。でも、何とか卒業させてもらいました。

 就職するときは、やりたいことだったわけではないのですが、人間と数学が好きなので、高校の数学教師になる道を選びました。高校教師の他に、思いつく職業がなかったのです。

 教師になってからは、目の前の生徒たちと関わり合うことが楽しくて、夢中で過ごしました。「やりたいこと」を見つけようとしなくても、夢中になることが向こうからやってきました。

 結局、「やりたいこと」がわからないまま、その時々で夢中になることがあって、現在に至っています。

 そんな私ですから、「やりたいことが見つからなくても何とかなる」と思っています。
 私の場合、「やりたいこと」を見つけようと努力しないまま、今まで生きてきてしまいました。

 でも、進学や就職を決めるときには、とても困りました。
 今の社会では、「やりたいことが見つからない」と、かなり不都合なようです。

やりたいことが見つからない理由

 どうして「やりたいことが見つからない」人がいるのでしょうか。

 その理由が、孫泰蔵著「冒険の書 AI時代のアンラーニング」に書いてありました。

 孫さんは、「やりたいことは特にない」と言う人たちは「やりたいこと」の定義を「お金になるようなことの中で、自分がしたいこと」と限定してとらえている、と言います。
 「自分の商品価値を上げるようなことであり、なおかつ自分が本当にやりたいこと」。それこそが、この資本主義社会で初めて「やりたいこと」として認められる、と言うのです。

 確かにそうかもしれません。
 「お金になるようなこと」の中から「やりたいこと」を見つけようとすると、なかなか「やりたいこと」が見つからないということは理解できます。

 高校の進路指導では、将来の職業を考えさせます。
 「好きなことをやればいい」という風潮の中で、将来の職業を考えると、やりたいことが見つかりません。そこで、自分探しの旅に出るのですが、見つかりません。
 では、「お金になるようなこと」と「やりたいこと」とを分けてみたら、やりたいことが見つかるでしょうか。

やりたいことって、ずっと同じでなきゃダメ?

 「やりたいことが見つからない」私ですが、やりたいことがないわけではありません。

 お腹が空けば、食べたいと思います。
 疲れると、眠たくなります。
 無性に本が読みたくなるときもあります。
 無性に何かを綴りたくなるときもあります。
 好きな人には会いたいし、ずっと一緒にいたいと思います。
 歩きやすい靴がほしいし、素敵な服もほしいと思います。
 いつまでも元気でいたいし、誰かの役に立ちたいとも思います。

 こんなふうに「やりたいこと」を考えると、「お金になるようなこと」と「やりたいこと」とを分けたら、「やりたいことが見つかる」と言えそうです。

 でも、やりたいことがずっと同じではありません。そのとき、そのときでやりたいことが違うのです。
 それって、「やりたいこと」と言ってよいのでしょうか。
 「やりたいこと」って、ずっと同じで、ずっと追い続けるものであって、そのときどきの「やりたいこと」とは別物のような気がしています。
 ですから、私は「やりたいことが見つからない」と思ってしまうのです。

 では、「やりたいことが見つからない」ときには、どうすれば良いでしょうか。

やっているうちに楽しくなる

 進学や就職の場面では、やりたいことが見つからなくても、進路を決めなくてはなりません。

 そういうときには、やってもいいと思えるものや幾分好きなものの中から選んでしまうという方法が有効です。

 私の場合には、教師という職業はやりたいことではなかったのですが、人間と数学が好きでしたので、この道で行こう決めました。教師という職業が自分に向いていたかどうかはいまだにわかりませんが、結構夢中になってやってきたと思います。

 やりたいことではなくても、やっているうちに楽しくなり、やる気になってしまいました。

 ですから、やりたいことが見つからなくても生きていけます。
 私と同じように「やりたいことが見つからない」人がいましたら、安心してください。

 全然自分に向かないことをやるのは無理がありますが、ある程度自分に向いていることならば、それをやり続けていくうちに楽しくなってきますし、やり甲斐が湧いてきます。
 私はそうでした。

 ですから、必ずしも「やりたいこと」に固執する必要はないと、私は思っています。
 人間には、ある程度何にでも対応できる柔軟性がありますので、いい加減で大丈夫なのです。

追伸

 そもそも「やりたいこと」って、今の自分に見えていることです。
 今の自分に見えていないことは「やりたいこと」になりません。
 ですから、未知の世界に飛び込んだら、「やりたいこと」や「夢中になれること」に出会うかもしれません。

 未来の自分が「やりたいこと」に出会えるよう、今の自分が少しでも興味を持てる分野を深めてみたり、気になる分野に首を突っ込んで広めてみたりしていくと良いのではないでしょうか。

 ところで、今現在の私の「やりたいこと」って、何でしょうか。
 もう進学や就職の場面はないので、「やりたいこと」を「お金になること」の中から探さなくてもいいのですが、改めて「やりたいこと」を考えると、なかなか見つかりそうにありません。
 困ったものです。

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