悲しみよ こんにちは
れんこんnote092
「悲しみよ こんにちは」
悲しみよ さようなら
悲しみよ こんにちは
天井のすじの中にもお前は刻みこまれている
私の愛する目の中にもお前は刻みこまれている
お前はみじめさとはどこか違う
なぜなら
いちばん 貧しい唇さえも
ほほ笑みの中に
お前を現す
彼女からの手紙には「あなたはあなたの道を歩んでください。さようなら。」という一文の後に、上記の詩が添えられていたと、彼から聞きました。
彼は、中学生のときに好意を寄せ合った彼女に、高校生になって交際を申し込んでフラれました。
その後、彼は、悲しみを抱えつつ、彼女の言葉通りに自分の道を歩もうとしました。
私が彼から初めて相談を受けたのは、この出来事から2年後のことです。
上の詩には続きがあったことを知り、悩んだそうです。
こんな続きです。
悲しみよ こんにちは
欲情をそそる肉体同士の愛
愛のつよさ
からだのない怪物のように
誘惑がわきあがる
希望に裏切られた顔
悲しみ 美しい顔よ
「悲しみよ こんにちは」という詩は、ポール・エリュアールという人の詩集『直接の生命』にあります。
高校3年生の彼に相談されたのは、「高1の時に彼女からもらった手紙をどう解釈したら良いか」ということでした。
20代だった私には、どう答えたら良いかわかりませんでした。
2時間ほど、彼の思いを聴いたことを覚えています。
それから2年後のことです。
彼から電話があり、次のような報告を受けました。
大学生になって、もう一度彼女に交際を申し込もうと彼女の家を訪ねたら、茶の間に通され、彼女と話をすることができました。
彼女の母親がお茶を持ってきてくれ、その後、彼女と二人きりでゆっくりと話ができました。
彼女から「来月、結婚します」と告白され、「おめでとう」と言って帰ってきました。
彼女が「悲しみよ こんにちは」という詩に込めた思いは、聞けませんでした。
でも、彼女との思い出はいい思い出として残りました。
たぶん、彼女にとっても悪い思い出ではなかったと思います。
これからの人生の中で、悲しみについて、考え続けていこうと思っています。
そんな報告でした。
あれ以来、彼から便りはありません。
思い出に残る生徒でした。
あれから40年が過ぎました。
人生では、さまざまな悲しみに出会います。
10代、20代は、悲しみの近くにいた気がしています。
歳を重ねていくと、悲しみが減り、苦しみが増えたような気がしています。
感受性が薄れていくからなのでしょうか。
彼の最後の言葉「これからの人生の中で、悲しみについて、考え続けていこうと思っています」をかみしめています。
でも、悲しみって、なんでしょうか。