昔話の変遷について考えてみました/民話「カチカチ山」
れんこんnote 049
室町時代の民話「カチカチ山」あらすじ
タヌキを柴刈りに誘ったウサギは、その帰り道、タヌキが背負った薪に火打ち石で火を付けます。
「カチカチ」という音を、ウサギは「カチカチ山では、カチカチ鳥が鳴いている」と説明します。
タヌキは背中に大火傷を負いましたが、ウサギを疑わうことはありませんでした。
後日、ウサギは見舞いに行き、良く効く薬だと言ってカラシをタヌキの背中に塗ります。
タヌキは痛みに苦しみましたが、「よく効く薬は痛い」というウサギの言葉を疑いませんでした。
次に、ウサギはタヌキを漁に誘います。
「たくさん魚が乗せられるから」とタヌキに泥の船を選ばさせ、ウサギは木の船に乗りました。
泥の船は沈んでしまい、溺れたタヌキが助けを求めましたが、ウサギは艪でタヌキを沈めて溺死させてしまいました。
江戸時代以降の「カチカチ山」
江戸時代になると、タヌキが悪事を働くという話が加わり、仇討ち物語となりました。
加わった話は、
「悪さをするタヌキを捕まえたが、老婆が騙されて殺されてしまう。
タヌキは老婆に化け、帰ってきた老人にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせた。
それを知ったウサギが、老人に代わって、老婆の仇討ちでタヌキを成敗する」
という話です。
明治時代以降の「カチカチ山」
明治以降、老婆は一時的な寝たきりであったり、最後のシーンでタヌキの命までは取らなかったりと、子ども向けの話に書き換えられました。
太宰治の「カチカチ山」
太宰治は、「カチカチ山」を、少女と中年男の物語としています。
ウサギは、16歳の潔癖で純真ゆえに冷酷な少女。
タヌキは、ウサギに恋をしているが故に、どんな目にあってもウサギに従い続けるさえない37歳の中年男として描かれています。
少女は生理的嫌悪を感じているタヌキを虐待し、男はウサギの歓心を買いたいばかりにただ従い続けます。
最後に、少女に頭を櫂で叩かれた男が「惚れたが悪いか」と言い残して、溺死します。
溺死する男を見送った少女が「おお、ひどい汗」と顔を拭くところで、お話は終わります。
室町時代の民話「カチカチ山」をどう読みますか?
室町時代の「カチカチ山」では、ウサギがタヌキをいじめて殺してしまう理由がわかりません。
その謎解きを試みたのが、江戸時代だったのではないかと思います。
江戸時代には、儒教の影響で勧善懲悪が好まれ、いい人と悪い人に分けるようになりました。
そこで、仇討ちという理由で、善人のウサギが悪人のタヌキを成敗する話にしたのでしょう。
太宰治は、潔癖で純真ゆえに冷酷な少女と、少女に惚れたさえない中年男の話に読み替えました。
どちらも、ウサギがタヌキをいじめて殺してしまう理由を説明しようとしたのではないかと、私は思っています。
室町時代の民話「カチカチ山」をそのまま読む
室町時代の民話「カチカチ山」は、理由など考えずにそのまま読めばよいと、私は思っています。
室町時代の民話には、残酷な描写がたくさんあります。
それは、弱肉強食の下克上を庶民がしたたかに生きていた証拠です。
理由もなく殺されることも多かった時代ですから、タヌキのように人を信用しすぎると、殺されてしまうことがあります。
理由を考えてもわからないので、現実を直視して生き延びることを優先したのではないでしょうか。
理不尽だと理由を考える余裕などまったくなくて、対処する術を身につけるほうが緊急なことだったのではないと想像します。
江戸時代以降は、庶民が理不尽に殺されることの少ない時代になったので、ウサギがタヌキを殺してしまう理由を考え始めたのではないかと、私は推測しています。
未来の「カチカチ山」はどうなるでしょうか?
時代を経るうちに「カチカチ山」が変化してきたのだとしたら、これからも変化していくに違いありません。
では、「カチカチ山」はどう変化していくでしょうか?
未来の「カチカチ山」を想像し、創造してみたいと思います。
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