少年
れんこんnote 070
少年
幼稚園児のころ
お遊戯も お絵かきも 何もかも
うまくできなくて
いじけて 泣いて
拒否した
幼稚園の先生に
「この子は問題があります」
と言われた母は20代半ば
泣いて家に帰ったという
中学教師だった父は
「俺たちの子だ。心配ない」
と母を慰めた
小学生になって
算数だけできた
図画工作は相変わらず苦手だった
ハーモニカもリコーダーも
上手く吹けなかった
中学1年生のとき
美術の先生に絵をほめられた
春なのに 茶や紺などさまざまな色を入れて描いていた
絵を描くことが楽しくなった
得意になった
中学2年生のとき
急にリコーダーが吹けるようになった
音楽の教科書に載っていた曲はクラシックを含めてすべて吹いた
休み時間に吹いていたら
音楽の先生から吹奏楽部に入らないかと誘われた
自信がなくて断った
高校1年生のとき
美術の先生から美術部に入らないかと誘われた
自信がなくて断った
いろんなことができるようになっていたが
自分に自信を持つことができないでいた
中学2年生から大学1年生までの7年間
日記を書いていた
出来事を書くのではなく
自分の思いを綴った
初恋を忘れることができたとき
日記をやめた
大学3年生のとき
短大1年生の少女と知り合った
恋に落ち
彼女とともに人生を送ろうと決めた
ずっと好きでいると決めた
高校教師となり
彼女と結婚した
彼女は私がすることを黙って見守ってくれた
私はやりたいことをやりたいだけやることができた
彼女にはとても感謝している
バスケットボール部の顧問で
土日も休みはほぼなかった
自主教材や学級通信づくりで
毎晩遅くまで仕事をした
テレビを観ていても
トイレに入っても
本を手放すことはなかった
教育委員会事務局へ異動し
月の残業時間が200時間を超えることもあった
帰ってくるのはいつも子どもが寝てからだった
酒やゴルフのつき合いも多かった
妻は黙って私を見守っていてくれた
校長や教育長を始め
女子大の特任教授
医療系大学の学長などを務めた
ストレスの多い職だったが
妻のお陰で乗り切れた
仕事を引退した
毎日 妻と一緒の日々である
これからも
好きなことをやっていいよ
と妻は言う
教師になってから
アイデアや考えをノートに書きためるようになった
ノートは随時処分してきた
45年以上続けているので
50冊は超えたと思う
「れんこん」というメルマガも23年目である
noteも始めた
勝手に物書きを続けてきた
これからも
続けていこうと思っている
自信があるわけではない
でも 書くことを好きでいると決めた
できないとかできるとかは
考えないことにしている
ただ ずっと好きなままでいるだけ
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