謎と疑問とメッセージ①/絵本「100万回生きたねこ」
んれんこんnote 101
謎と疑問とメッセージ①/絵本「100万回生きたねこ」
あらすじ
「100万回生きたねこ」の話は、こんなふうに始まります。
100万年も、しなないねこがいました。
100万回もしんで、100万回も生きたのです。
りっぱなとらねこでした。
100万人の人がそのねこをかわいがり、100万人の人がそのねこがしんだとき、なきました。
ねこは一回もなきませんでした。
以下は、あらすじを紹介しましょう。
主人公のねこは、ある時は国王のねことなり、ある時は船乗りのねこ、サーカスの手品つかいのねこ、どろぼうのねこ、ひとりぼっちのお婆さんのねこ、小さな女の子のねこ…と100万回生まれかわり、飼い主のもとで死んでゆきます。
飼い主は皆、ねこの死をとても悲しみましたが、当のねこはまったく悲しみませんでした。
ねこは、飼い主のことが嫌いでした。
ある時、ねこは誰のものでもないねこ、野良ねことなり、「俺は100万回も死んだんだぜ」と自慢する、誰よりも自分が好きなねこになりました。
周囲のねこたちも皆、ちやほやしました。
しかし、関心を示さなかった一匹の美しい白ねこがいました。
なんとか白ねこの気を引こうとしますが、白ねこは「そう」と言ったきり。
いつしかねこは白ねこに恋をし、「そばにいてもいいかい?」と尋ねると、白ねこは「ええ」と言いました。
やがて白ねこはかわいい子ねこをたくさん生み、ねこは「俺は100万回も…」とは言わなくなりました。
ねこは自分よりも、白ねこや子ねこたちのことを大切に思うようになっていました。
やがて子ねこ達は巣立ち、白ねこはお婆さんになり、あるときねこの隣で動かなくなってしまいます。
ねこは白ねこの亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。
100万回泣きました。
そしてぴたりと泣きやみました。
そしてねこは、白ねこの隣で静かに動かなくなっていました。
それからねこは、もう決して生き返りませんでした。
というお話です。
たくさんの謎
このお話には、生きる意味や愛、孤独、死、幸福などのテーマが描かれていると言われています。
そうしたテーマについて、「100万回生きたねこ」を読みながら、考えていくのもいいでしょう。
でも、私は「100万回生きたねこ」に潜む謎を探ってみようと思いました。
この話にはたくさんの謎があります。
何を謎と思うかについても、謎の答えをどう考えるかについても、読む人によって異なるでしょう。
謎も答えも生み出し育てるものです。
何を生み出し、どう育てるかは、人それぞれです。
人生では、問題は与えられるものではなく、自分から見つけるものです。
また、ほとんどの場合、答えは一つではありませんから、生み出した答えから自分の答えを一つだけ選ぶことになります。
結構、大変な作業です。
さて、「100万回生きたねこ」の話から、私が感じた5つの謎と私なりの答えを紹介しましょう。
あくまで、私が感じた謎と私が考えた答えです。
私が何を感じ、どう考えたか、楽しんでいただけたら、幸いです。
第1の謎と疑問とメッセージ
第1の謎は、ねこはなぜ100万回も生き返ったのか、そして、死んだとき、なぜ一回も泣かなかったのか、という謎です。
一回も泣かなかったのは、それぞれの一生に泣くほどの思い入れがなかったからでしょう。
100万回生き返ったのは、次の人生に期待していたという答えも考えられますが、ねこに100万回も期待し続ける強い意志があったとは思えません。
生き返ることが惰性になっていたというのが、私の考えです。
それにしても、100万回も生きるチャンスを与えられたこのねこは幸運だとは思いませんか。
私たちには、たった一度しか人生を生きるチャンスは与えられていないのに、このねこには100万回もチャンスが与えられた…、と考えたところで、疑問が浮かびました。
もしかしたら、私たちも100万回のチャンスを与えられているのではないか。
惰性で生きているので、気づいていないだけなのではないのか、という疑問です。
ここには「充実した人生をつかむチャンスは100万回与えられている」というメッセージが隠れているのかもしれません。
チャンスは100万回
人生はたくさんの偶然に彩られています。
人生100年時代に100万回の偶然があるということは、一日平均27~28回の偶然が起こっているということです。
1時間に1回以上の偶然です。
この偶然をつかむことができたら、どんなに素敵な人生を送ることができるでしょうか。
100万回の偶然を有効活用しないで人生を終える人が多いように感じます。
ねこも、100万回の偶然を活かすことができないで、生まれ変わりました。
ねこは、最後に活かすことができて、生まれ変わることがありませんでした。
ということは、100万回のうち、1回だけでも偶然を活かすことができたらよいということでしょうか。
それなら、できそうな気がしてきました。
でも、どうしたら、偶然を活かすことができるのでしょうか。
その疑問が残りました。