さなぎの時期にいる鉢かづき姫を守ったのが鉢/昔話「鉢かづき」
れんこんnote 065
さなぎの時期には「守られる」必要がある
幼虫からさなぎになるのが、思春期前期(中学生の頃)です。
そして、さなぎから蝶になるのが、思春期後期(高校生から大学生の頃)です。
さなぎの時期は、外からの攻撃にとても弱いので、守ってあげなければなりません。
守ってくれる人がいないと、危険な道に引きずり込まれたり、十分な成長ができなかったり、時には事件に巻き込まれて死に至ることさえあります。
昔話「鉢かづき」のお話は、鉢がさなぎの時代の鉢かづき姫を守った話と読むことができるそうです。
今回は、昔話「鉢かづき」を取り上げてみました。
ちなみに、「かづき」とは「頭にかぶる」という意味で、昔話「鉢かづき」は鉢をかぶったお姫様のお話です。
昔話「鉢かづき」あらすじ
昔、河内国に大金持ちが住んでいました。
子どもが授からないので観音様に祈願したところ、女の子が生まれ、やがて美しい娘に成長しました。
しかし、母親が亡くなる直前、観音様のお告げに従って娘の頭に大きな鉢をかぶせたところ、鉢がどうしてもとれなくなってしまいました。
母親の死後、鉢かづき姫は、継母にいじめられ家を追い出されます。
世をはかなんで自殺しようとしましたが、鉢のおかげで溺れることなく浮き上がり、山蔭の中将という公家に助けられて、風呂焚きとして働くことになりました。
中将の4男に見初められて求婚されますが、母親はみすぼらしい下女との結婚に反対し、兄たちの嫁との「嫁くらべ」を行って断念させようとします。
嫁くらべの前日の夜、鉢かづき姫の頭の鉢がはずれ、姫の美しい顔があらわになりました。
姫は、歌を詠むのも優れ、学識も豊かで非の打ち所がありません。
嫁くらべのあと、鉢かづき姫は結婚し、3人の子どもに恵まれ、観音様に感謝しながら幸せな生活を送ったということです。
河合隼雄氏の主張
河合隼雄氏は『物語を生きる―今は昔、昔は今』の中で、
「子どもが大人になることは大変なことであり、短期間に心身共大変革を遂げるので、その間は何らかの強い守りを必要とする。さなぎが固い殻に守られているのと同じである」
と書いています。
「鉢かづき」の鉢や「白雪姫」のガラスの柩、「眠りの森の美女」の100年の眠りなどが、大人になるまでの強い守りだというのです。
鉢は、姫を何から守ったのか
頭の鉢のせいで、姫は継母から追い出されてしまいます。
一見、鉢は姫を守るどころか、追い出される口実を作ってしまったようですが、追い出されることが姫を守ることになっています。
姫に特に問題がなければ、継母は姫を追い出せませんから、じわじわと長い間姫に陰湿ないじめをしたことでしょう。
それでは姫が受ける心の傷は大きく、姫の性格までむしばんでしまいます。
そこで、鉢は、継母から姫を守るため、姫が家を追い出されるように仕向けました。
鉢は、成長を阻害するものから姫を守ったのです。
次に、鉢は自殺から姫を守っています。
思春期は気持ちが不安定なため、危険な場所に足を踏み入れたり、自分を傷つけたりすることがあります。
そこで、鉢は、姫自身から姫を守ったのです。
さらに、姫は美しい顔をしていて、歌を詠むのも優れ、学識も豊かで非の打ち所がないのに、風呂焚きとして働くことになりました。
これも鉢のお陰です。
家を追い出された身で、まだ未熟な年齢では、美貌や学識を活かすことは難しかったでしょうし、危険なことだったでしょう。
そこで、鉢は美貌や学識を活かすことができるときまで、それらを隠すことによって姫を守ったのです。
言い換えると、鉢は姫の才能をじっくりと育てるために、世間の目から姫を守ったのです。
鉢は姫を守るだけではなく、姫の成長を促してもいます。
鉢は姫から地位や肩書きをはぎ取ることで、一人の人間として今できること、姫の場合は、風呂焚きをさせています。
姫は、今自分にできる風呂焚きを一所懸命やり続けました。
その辛抱強さや誠実さに中将の4男は惹かれたのです。
また、鉢は姫に孤独を与えています。
孤独は人を成長させます。
姫は孤独の中で、一人の人間として強くなっていきました。
その強さが、持っていた美貌や学識などをより一層輝かせたのです。
現代において、鉢の役目を果たしているものは何か
昔話から現代に戻ることにしましょう。
現代において、鉢の役目を果たしているものは何でしょうか。
家庭であったり、地域であったり、国家であったりするのかなと思います。
学校も、その一つでしょう。
学校の役目は、子どもたちの学びを保障し、子どもたちの成長を助けることだと言われています。
でも、「成長を阻害するものから子どもを守ること」や「子ども自身から守ること」、「世間から守ること」、「孤独を与えること」などの役目もありそうです。
「主体的、対話的で深い学び」や「個別最適な学び」、「協働的な学び」、「探究学習」なども大事だと思います。
それ以上に、学校が、子どもたちを守り、子どもたちや教職員が生き生きと生きる居場所であることが大事なのではないかと、私は思っています。
蝶として舞う時期を終えたら
私は、さなぎの時期を遠い昔に終え、蝶として美しく舞う時期も終わりを迎えつつあります。
まだ、蝶として舞う時期を終えたとは思っていませんが、舞えなくなる時期が来るのもそう遠いことではないと思うときもあります。
これからは、さなぎの時期と同じように、守られることが多くなっていくでしょう。
でも、少しでも「鉢」の役目を担いたいと思っています。
小学生の孫が「さなぎ」になるとき、守ることができるくらいに体力や気力を維持するとともに、知恵を深めていこうと思っています。
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