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一緒に暮らし始めて

今日でパートナーと一緒に暮らし始めて3年目。
Facebookに思い出が上がってきて、懐かしく思い出した。

誰か他人と暮らすなんてとんでもない

それまでの私は、自分の聖なる領域に他人を入れることに抵抗があったし、ちょっと遊びに来るだけならまだしも、一緒に暮らすなんてとても無理、もし結婚することがあったとしても別居でお願いします、とずっと思っていた。

不思議なことに、彼と出会って人生で初めてこの人なら自分のテリトリーにいれてもいいなという安心感を感じた。
一緒にいることがとても自然な感覚に自分でも驚いた。

付き合い始めて4ヶ月で一緒に暮らすことになった

怒涛の流れで、一緒に暮らすことになった。
私は実家暮らしだったのでバタバタしたけど、不安はなかった。
当たり前って感覚。
正しいところに行くって感覚。
物事が進むときは速い。

二人の生活が始まった

違う価値観を持った二人が一緒に暮らすってことは色々ある。

どちら一方が我慢するのも嫌だったし、気持ちを正直に伝えることを大事にしたいと思った。

自分の正直な気持ちを伝えること
それは、私にとっての大きな課題だった。(今でも)
よく見られたい、嫌われたくない、波風立てたくない、理由はたくさんあるけど、とにかく苦手だった。
気持ちを封印しすぎて、自分自身さえも自分の気持ちがわかってないこともあった。
彼と暮らし始めた当初は、自分の素直な気持ちを感じるというリハビリ期間中だった。
という意味で、身近な大事な人との関係性の中で強制的に自分の気持ちを体験させれた、ある意味、最終試験だったと今は思う。

大事な人に偽った気持ちで接して好かれるよりも、正直で素直な自分を出して嫌われる方がいいと思った。
正直な自分でいて嫌われるなら、それは自分にとって正しい関係じゃなかっただけだから。
自分を偽っていることは自分を大事にしていないことだから。

二人とも気持ちよく過ごすこと

当初私は、お互いは別の人間なので価値観は交わることはない、よってそれぞれが好きにすればいいという風に思っていた。
それが心地いいことになると信じていた。

例えば、家をピカピカにしたい人と、家がきれいかどうかが気にならない人がいたとしよう。
そんな時はピカピカにしたい人が掃除をすればいいのだ。
気にならない人に強制的に掃除をさせるのは間違ってる、というより無理だしストレスになるからやめよう、というかんじだ。

自分の主張はしてもそれを押し付けない、それがお互いを尊重することだと感じている。

一緒に暮らし始めてわかったこととして、私の方がこだわりが強くて彼は暮らしに無頓着なこと。
という意味で、私の負担が大きいと感じていた。

実家で家事を一切やっていなかった、職場が遠くなって通勤大変、引っ越しの片付け大変、彼は夜勤で一緒に暮らし始めたのにすれ違い生活。

はい、やつれて弱りました。

私の母親が仕事も家事も完璧にこなす人で、私もそうならなきゃいけないってどこかで思い込んでいて、自分で自分を追い込んでいた。
(そこを気づいて手放すのには1年はかかった)

私も彼も家事は好きではないのだけど
私はそれでもちゃんとやりたい→やりたくないけどやるしかない
彼はやりたくないことはやらなくていいんじゃない?
という意味で交わらない。

彼からの提案

結論から言うと、私の負担を彼が担ってくれた。

私は私の価値観を押し付けたくないと頑なだったけど、彼からすれば私が苦しそうにしている方が辛いとのことだった。

生活は二人のことだから、二人で決めていこう

あぁ、それでいいのか。
交わらない価値観を交わらないままでしておいても、相手の幸せを願って自分を行動を変えることはできるのだ。

私は本当に大事なものは何かを見失ってたのかもしれないな。
相手の価値観を尊重することが一番大事だと思ってたけど、相手と自分が混ざり合って変化することもあると信じてよかったんだ。

一緒に暮らすってことは一緒に生活を創造していくことだと思う。

他人のことを自分のことのように感じるってことが家族なのかもしれない。

感謝をこめて。



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