わたしの徒然日記 23日目 6/20
昨日の続きの話。
私が洋裁やらカメラやらに興味を持ったのは確実に両親の影響があると思う。
母は和裁士(着物を縫う人)、父の趣味は写真撮影
幼い頃から母には洋服などを作ってもらっていたし、浴衣とかも作ってもらった。私の成人式の着物、結婚する時に持たせてもらった着物は反物から母が作ってくれたもの。
父はいつもカメラを持っていて、子どもの私はよく写真を撮ってもらっていた。思春期になると撮られることが嫌になって避けていたけれど、多分私のカメラ好きは父譲りだろう。
だから私が母親になった時に同じことを子どもにしたいと思ったのかもしれない。
私にとって子育ての経験は両親が私にしてくれた経験しか知らないから。
私は恵まれていると思う。
家庭は落ち着いていたし、祖父母とも同居だったけれど家庭内でいざこざはなかった。大学進学で県外を希望しても全く反対されなかった。
おじいちゃんがめちゃくちゃ怖くて中学生くらいまであんまり話ができなかったけど、大事にされていたことは写真を振り返ってもよく分かる。
ご飯も毎日同じ時間に食べれていたし、ほとんど外食もなかったので母の手作りの食事だった。
母はどうだったんだろうと最近思う。
母から愚痴らしき愚痴は聞いたことはない。
親戚が多くて、お正月には従兄弟も合わせて30人近く集まる私の実家。
田舎の長男の嫁で、専業主婦、車にも乗らず、義両親と完全同居。
盆、正月もよく動いていた。べらべらおしゃべりする人ではないけど、きっと母は母なりに悩みもあったのかなと今なら思える。
いつまでも元気でいてほしいな。
私の子どもたちは私の母がものすごく好きなので、また会いに帰ろう。