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フィリッパ・ペリー著 高山真由美訳「子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本」
いつの頃からか考えていたことがありました。
もし子どもが生まれたら、絶対に、ほんの小さい時から、一人の人間として尊重しよう。
子ども扱いする大人が、とても許せなかったのです。
なので、自分の子供にはそう接したいし、他の子と接する時にも、できるだけそうしようと考えていました。
ですが、少し話ができるようになると、そんな意識は不要になりました。もちろん、未熟な発想に、子どもらしいと思う瞬間の方が多いわけですが、経験がないからこその新しい発想に驚くこともあります。
まだ3、4歳の頃、次男がとても曇った日に、空を見て言ったのです。
今日はとても空がきれいだね。
どうして、と思いましたが、確かに、厚い雲の影が模様のようにも見えたし、空全体が、光っているようにも見えました。
青空の方がきれいだと思うのは、晴れている方がいいという先入観があるからなのかもしれない、と考えました。
そして、保育所や小学校で、色んな人たちと接する中で、私が教えていないこともどんどん身につけていきました。もう私が、この子は、こんな風に考えるだろう、と見当をつけたりすることができるような人格ではないのです。もちろん、こう考えるかな、と想像したりするけれど、それは、夫や、友人たちだったらどうするか、というのを予想する場合と何ら変わりません。
ひとまず、私の子育ては、まあ、それなりにうまくいっているだろう、と思いました。自分が子供だった時と比較して成績が微妙とかそういうのはあるし、心配ごとがないわけではないけれど、私がぼんやりと想像していた子どもを育てるにあたって、こうしたい、と思ったことはできているかな、と考えていました。
なので、この本を読んだ動機の半分以上は、自分の子育てのためではなく、自分が生きづらく感じることとどう向き合っていくか、ということだったのだろうな、と思います。
特に前半部分は、書かれていることの半分以上に、私もこうする方を選ぶ、と感じることが多かったです。自分がされたくなかったことをしてあげたいと思ったから。あるいは、本にそうした方がいいと書いてあって、自分もそうしたいと思ったから。
でも途中から、そんな風に落ち着いて読むことができなくなりました。妊娠して、出産する話の辺りから、ほとんど泣きながら読んでいました。さらに、赤ちゃんだった子どもが成長して、大きくなっていくにつれて、主に母との関係でつらかったことをどんどん思い出して、身体中が不安でいっぱいになるのを感じました。
ところどころ、子どもに対しての自分のふるまいに思い当たるような事例があって、そういう部分になると、私だってそんな風にしてもらえなかったのに、どうやってすればいいの、辛い記憶でいっぱいなのに、どこからそんな優しさをしぼり出せばよかったの、と怒りにも似た気持ちになりました。
でも同時に冷静な自分もいて、こんなにつらい読書は、きっと、すごく意味があるものになるのだろうな、と感じたりもしました。
子どもがしたことや要求してきたことに対して怒りを感じたら、あるいは恨み、不満、嫉妬、嫌悪、混乱、苛立ち、恐怖、不安などの厄介な感情が湧いてきたら、それを警告と捉えるといいでしょう。子どもが悪いことをしているという警告ではなく、あなた自身のスイッチが押されたという警告です。
子どもにまつわることであなたが怒りを感じたり、過度に感情的なほかの反応が起こったりするのは、自分が子どもと同じ年齢だったときに抱いた艦上から自分を守るための手段なのです。子どもの行動が過去の自分の失望、憧れ、孤独、嫉妬、欲求の引き金となるのを無意識のうちに恐れているのです。その結果、子どもの感情に寄り添うよりも、一足飛びに安易な選択をしてしまい、怒ったり、ストレスをためたり、パニックに陥ったりするのです。
親もかつてに誰かに育てられたわけで、ここに書かれていることは、今スイッチが押されたという警告を受け取った自分だけでなく、今目の前にいる子どもと同じ年齢だったときの自分を育てていた親もスイッチが押され、結果として安易な選択をしてしまった結果ということになるわけなのでしょう。
最後に謝辞の中で、著者はこんな風に書いています。
人間関係は一度断絶しても修復することができる、そして修復したあとはより強く、より良いものになると私は信じています。
一度私は、自分の親との修復を試みようと思ったことがありました。繰り返し言われて辛かった言葉3つを上げて、そのことを謝って欲しいと頼みました。でも結局、自分がどれほど若くて未熟な親だったか、恵まれない環境にあったのか、仕方なかったかということを訴えられ、一言もお詫びの言葉を言ってはくれませんでした。
でも、不思議なことに、3つの言葉のうちの最後の一つが思い出せないのです。
なんて醜い子なの、あなたは私を苦しめるために生まれてきた。
あともう一つは何だったのでしょうか。
でもまあ、忘れることができたのは、ちゃんと言ったからなのかな、と思います。
なので、少しは修復できたと思います。
今は長男のことで助けてもらっているし、そのことは感謝しています。それと引き換えに我慢していた時もあるけれど、その頃とはまた今は違います。
ただ、完全な修復の時ではない気がしています。いつか本当に修復できたら、もっと気持ちが軽くなるかもしれません。
幸い、私の娘は、世界一美しい子どもです(念のため付け加えると、自分の主観であることは理解しています)。小さいころから、かわいいね、かわいいね、と言って育ててきたら、本当に、いつ見てもかわいい子に育ちました。そして、私を幸せにするために生まれてきてくれました。
私はそういう娘になれなかったけれど、私にはそういう娘が来てくれました。
でもまだ、当分、子どもたちと一緒に生活するわけで、これからもっと色んなことがあるのだと思います。
子どもの気持ちを尊重し、そして対等な関係で。
毎日を大切にしたいと思います。