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11.双子が生後3週間で実家から自宅へ戻る。

前回の記事で書いたがついに双子が生まれた。
当初1ヶ月ほどいる予定だった僕の実家から2週間で
自分たちのマンションへ帰って来た。
ここから本格的に僕ら夫婦2人だけでの育児が始まる。

実家にいた時と同様に夜23時ごろから僕がミルク当番を担当し
深夜3時ごろに眠る。その間に妻にはまとまって寝てもらった。
しかしこの生活も4時間睡眠がずっと続くわけだ。さすがにしんどい。

土日に朝ゆっくり寝かしてもらったり、妻に昼寝をしてもらったりして
なんとかこなしていたが、妻にとっては昼間の家事まで入ってくる。
僕も3月に入るくらいのタイミングで仕事が繁忙期になっていた。
とあるケーブルテレビの防災番組を
各地域ごとに20個ほど3月中に全部上げるという
編集部全体で行う仕事に巻き込まれていた。

動画編集というよりハザードマップを見やすくしたり
避難所一覧の表を作るなど、ほぼ雑務の延長のような仕事ではあったが
津波や土砂災害、地震などそれぞれ場合によって違うので結構な作業量になる。
3月頭くらいからほぼ終電での帰宅になっていた。

そうなってくると帰宅できるのは深夜0時近い。
妻が寝始められる時間もどんどん遅くなっていた。

3月も3月で副業で付き合いのあった会社から
ちょこちょこ副業の案件が来ていた。
断ればいいものを、なぜかもう断ったら2度と来ないような強迫観念から
ひたすらミルク当番の合間に作業をこなしていた。

そんな生活も2週間も続けば本当に限界が来ていた。
僕の疲労感もそれなりであったが、妻が本当にしんどうそうだった。

そして妻から相談されたのだ。
「育休とか取れないの?」と。

僕も慣れない仕事に追われていたし、本当に疲れていた。
正直東京で働いていた時は徹夜の仕事も多かったが、
徹夜した翌日は大体"明け休み"だった。翌日には思う存分眠れたのだ。
それが終電で帰り4時間睡眠でまた朝9時には会社にいるというシフトが
週5で繰り返されている。土日に休みがあるだけ本当にマシだ。

会社で思うように仕事ができていない僕に
合法的に逃れる手段をくれたような気分になった。
「双子の育児をしている妻から言われたのですが」
この枕詞を使えるのは本当に強いと思った。明日にでも相談しよう。

正直この時、僕は詳しい育児休業制度なんて知らない。
でも無給になろうが、なんだろうが一度仕事から離れたい気分ではあった。
自分で売り上げを立てる方法も知らない、
この会社で求められる技術やセンスも足らない、そして家には双子の新生児。
どうしたらいいか分からなくなっていた。

総勢30名もいない小さな会社。
とりあえず人事・総務を1人で請け負っている社長夫人に相談した。
社長夫妻には子どもがいなかったが、
社長夫人は子育てしている人への配慮のようなものはすごくあった。
大変であることへの共感はすごかった。
すぐに社長と話す機会を作ってくれる事になった。

僕はがっつり育児休業なんて取れると思っていなかったから
妻と話してどのくらい仕事をセーブできれば大丈夫かのラインを作った。
①毎週平日1日休みにしてもらい週休3日にしてもらう。
②残業を一切なしにして定時の6時30分に必ず上がれるようにしてもらう。
このどちらか実現できないかを相談した。

社長に相談したら数日後に社労士さんが来社されるから
そこで改めて相談する運びになった。

そして数日後。
社長夫妻同席のもと、社労士さんとお話させてもらえた。
社労士さんにはお子さんが1人いた。
社長夫妻よりは育児の大変さを知っていた。

そこでの社労士さんの言葉に僕は驚愕した。
「多分、保育園預けるまでは楽にならないから1回1年休んだら?」
超意外な答えだった。
まさかそんな事があるのだろうか。僕は信じられない思いだった。

思い返せばそもそも残業を断ることは入社1年未満の僕にはできないらしい。
また会社の制度としても週休3日制というものもない。
おそらく一番素直に取れるのが国に認められている育児休業だったのだろう。
1歳になる前日まで取れると、この日初めて知った。

社長も「1年育休取らせてあげたいけど、現場は大丈夫?」と心配してくれた。
大丈夫も何も僕なんてほぼ戦力になっていないのだ。
僕が休み始めれば僕についていた目標金額も外れて
みんなの目標達成もしやすくなるだろう。何が問題なんてあるものか。
その時少しやらせてもらっていた仕事はほとんど他の人から譲っていただいたもの。すぐに返せば大丈夫。
目下一番忙しかったケーブルテレビの仕事も3月中には全て終わる。

4月から育児休業を取れる事になった。

社長夫妻と社労士さんに「本当にありがとうございます」とお礼を言って
その会議室を出た。

実家に戻る選択肢はなかったのか?

そこまでしんどかったらもう1度実家を頼ればよかったのでは?と思うだろう。
前回の記事で書いた通り妻のお母さんは左半身の麻痺で育児には参加できない。
僕の実家はというと、実はそれどころじゃない問題が発生していた。
僕の母がうつ病になっていたのだ。

次回、僕の母のうつ病の話。
そして育児休業を1年取ることを他の社員へ伝える話。
入社して間もない僕がいきなり1年休むことを伝える。
地獄のような時間が始まる。

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