常識からはずれてみる
セネガル出身のジャバリは、わたしと同い年のジャンベ奏者。東京で出会った、大好きな友人の一人。彼は、ゾウさんのように優しい眼差しを持っていて、ドレッドロックに貝殻をつけた髪の毛に、ラスタカラーのカラフルな洋服が、黒い肌にとってもよく似合う。わたしは、慣れない都会生活に埋もれて、息苦しくなったとき、彼によく会いに行った。ジャバリは、わたしに大地の匂いと風の音を思い出させてくれた。
ジャバリは、音楽とともに生きていた。ジャバリの肩には、刀で切りつけられたような傷跡が残っていて、それは奴隷制度を忘れないために、おじいさんがつけた傷だと言っていた。男の子が生まれると、歴史を忘れないためにこの傷を残すのだという。ジャバリはもう一度、こんどは腕の血管を指さして、こう言った。「でもね、白人たちは音楽だけは奪えなかったんだ。僕たちの血管には、ミュージックが流れているんだよ」
ある日、都心のコンビニの外で、歩道に座り込み、ジャバリがささやいた。「イッコ、聞いてごらん。風の音を」街路樹の葉っぱが、風に揺れている音が聞こえる。サワサワサワ...「僕ね、この風の音で音楽を作るよ」 そう言って、地面を叩きだしたジャバリの姿が、とても美しいなと思った。
木枯らしの吹く秋の日の夕方、ジャバリのお家で食べたコーンスープの味が忘れられない。温めた牛乳とバターをほんの少し加えて、作ってくれコーンスープを、アフリカの木を削った椅子に座り、アフリカ音楽を聴きながら、すすった。世界一、私の心を温めてくれたコーンスープだった。
ジャバリの作ってくれたコーンスープを飲みほして、ふと見るとジャバリの靴下が、片方ずつ色違いなのに気付いた。右足は赤色、左足は緑色なのだ。
「ジャバリ、靴下の色が違うよ!」
それを聞いた彼はこう言った。
「片方ずつ色が違うほうが、お洒落だと思わない?」
それまで同じ色の靴下をはくのが常識だと疑わなかったわたし。
「わたしの常識ってなんなんだろう」
中学生の頃、同じ色の靴下を探して遅刻した。小学生の頃は、お下がりの習字セットや算数セット、ハーモニカの色が、みんなが持っている同じ新品とと違うことが恥ずかしくて、忘れたふりをしたことがあったっけ。人と違う服、人と違う髪型、人と違う考え方や行動...
人と違うことは、ステキなこと。そう教えてくれたジャバリに感謝している。みんな同じ色じゃなくていい。
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〜つづく〜
《 常識からはずれてみる 》
わたしは小さな頃から、「変わっている」「常識がない」と言われることが多くありました。どうしてだろう、と少しは悩んだのですが、それが自分だと割り切って、そのまま大人になってしまいました。
そして、海外で生活をはじめたとき、なんだか息がしやすいことに気がつきます。日本では「おかしい」「常識からはずれている」と言われていたわたしと同じ行動を、周りのみんなが普通にやっていたからです。
雨の日に傘をささずに、表に飛び出して喜んでいたり、裸足で家の外を歩いたり、出る杭はたたかれず、周りのみんなが応援してくれます。大人でも、嬉しかったら飛び跳ねて、体全身で喜びを表現をすることを歓迎されます。季節外れだったり、流行遅れの服を着たい時に着て、体の大きな女性も、体型を隠すのではなく、大胆に、ステキにビキニを着こなしています。みな、他人の評価の中ではなく、自分の信じた行動を楽しんでいるように見えました。
日本では「変わった人」だったわたしが、海外では「普通の人」になってしまったのです(笑)。
「人に迷惑がかからない程度に、常識からはずれてみる」
他人の評価や、社会の常識を気にするあまり、苦しかったり、肩身がせまいな、と感じていたら、常識の殻をやぶってみましょう。あなたが今、常識だと思っていることは、世界では、常識ではないかもしれないのです。
あなたの容姿、考え方、ファッション、生き方... もしかしたら、それらは、ものすごくユニークで魅力的なものかもしれないですね。自信をもって、人生楽しみましょう。
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