その気遣いにありがとう

 60代後半、ベトナムで日本語教師生活が2年目を迎えた。
そこで去った1年を振りかえって見ることにした。
 一年ずつ歳がふえることへの現実味になかなか気分がついていけないが、
何といっても60代後半老齢者の一人である。
 そこで、物事はプラス面からのポリシーを持ち、過去の出来事のなかから良かったことを日記風にのぞいてみよう。

7月・国道沿いの露店朝市

(●'◡'●)日常にある老齢者への気遣い

 生活全般で年齢的な面を通して感じたのは老齢者とこどもへの優しさである。
特に老齢者への心遣いについての場面を私見で紹介したい。
検証①「一番、年上ですから、先にもらってください。どうぞ。」
 私の職場は20代の男女ベトナム人が中心。当然、日本人は私ひとり、おまけにこの日本人は職員たちの母親より年配の女性である。
と、この状況で勤務開始当初、緊張していたのはお互い様であろう。
初めての海外勤務とあって私は年甲斐もなく彼らへの接し方に日々緊張の連続であった。
 しかし、職場の皆さんは私に非常に優しく接してくれる。
年上への気遣いは日本でもあるある光景だと思うが、ここではダイレクトにそれを感じる。
 特に年配者への気遣いで顕著なのは昼食時間帯、つまり食べる場である。
ベトナムではふんだんにとれる季節の果物を市場で手に入れ、食後、エビ風味塩(?)につけて食べることが多い。
そういう持ち寄った果物をシェアーする場面などで、私はいつも先んじてもらっている。
理由は
「一番、年上ですから、先にもらってください。どうぞ。」
と差し出してくれるからだ。
これは彼らにとって であるから、私も自然に受け入れられると同時にありがたい。
 恥ずかしながら、私は、過去、長年勤めた日本の職場でこんな気遣いが当たり前に出来ていただろうか。

7月・竜眼とすもも


検証②「ここに座って。どうぞ。」
 
私の住まいは職場からあるいて7分ほどにあり、住宅街をのんびりお散歩の感覚で通勤していた。
こんな平和な通勤風景。
 住宅街の庭や街路に植わった日本では珍しいザボンやジャックフルーツ、マンゴー、竜眼などの樹木。実が大きくなっていくのを日々見るのはわくわくして楽しい。
 道路と庭の境目なく自由に何かをついばみ歩くにわとりたちは微笑ましく笑顔になる。
 道路まで出てきた犬におびえて足がすくんだり、ダウンのすそをひっかかれたりして怖い思いをした日もあったが・・・。

にわとりのお散歩


 しかし、2月のテト明け、期せずして職場移転に伴い私の通勤スタイルは変更せざるを得なくなった。
こういう訳で私は今、バス通勤である。
 ハノイ近郊、交通事情は日本と随分違う。
信号なしの片道3車線の国道をバイクの波と増加傾向の車の中を通り抜けるのには勇気がいる。
 毎朝、無理やりのスリル感を味わっているようなものである。
が、いったん、バスに乗れば「ここに座って。どうぞ。」と席を譲ってくれたり、バスの揺れから守ってくれたりする若者がいることはありがたい。
 前置きが長くなったが、老齢者を気遣うバスの中での行為も本当にごく自然体である。

通勤時間の道路


検証②「歳をとっていく両親への気遣い」
 
日本語センターの若者たちの目的はベトナムより給与の高い日本で働くことである。
 高校卒業して間もない若者たち。よりお金が多くもらえるから残業で昼、夜問わず働いてお金を稼ぎ、親に送金したいと抱負を語る。
 国の政治、経済事情が違うとはいえ、今の日本、私の周りに「両親を助けたいために稼いでいる。」という話を耳にしたことがあっただろうか。否。
歳をとっていく両親への気遣い、この先への気構えに疑問の余地はなさそうである。

選んだお題は「両親」


選んだお題は「親」


 お金を稼ぐために日本へ行く。日本で働くには日本語を学ぶ必要がある。
という目的意識を持っているので、彼らは日本語学習に熱心である。
 日本の文化やアニメが好きでぜひ、日本で暮らしてみたいという若者の学ぶ姿勢は、さらに熱心なものである。
 どちらにしても外国語を学び、他国の文化や生活を体験することで自分を成長させていくに違いない。
 私の目標は、この地で日本の老齢者のひとりとして様々な場面での気遣いへの感謝として、職場の若い同僚、日本語の学生たちを精いっぱい応援し続けることである。



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