枯れた心に水を
人生とは、不確実性の塊だ。まるで急な坂道を転がり落ちる大きな石のように、計画や意図が通用する場面は少ない。そして、病院という場所はその不確実性を象徴しているようなものだ。
次の治療の提案を受けて、詳しい説明を求めたわけだが、妻が電話で報告してくれた結果は、言ってみれば“まあ仕方ないか”という感じだった。まさに一抹の「仕方ないか」が僕の心を染め上げていた。この病院での治療を続行することに決めた。でも、その続行は"慎重に"行われるとの約束を得た。もちろん、医者がどれだけ慎重になるのかは不明だが。
そして、次の点滴が始まるまでの短い期間、妻が息子を連れて帰宅できる特別な許可が下りたのだ。このコロナ禍で、それがどれほど稀な瞬間であるか。久しぶりに家族と食事を共にした瞬間、僕の心は枯れた泉に水が戻るような気持ちでいっぱいだった。それはまるで、僕が何年か前に失くした貴重なレコードが突然戻ってきたような、そんな感じだ。
しかしこの幸せも一時のもの。次の入院は、いつ終わるかも分からない。数ヶ月に及ぶ可能性すらある。なので、この僅かな家族との時間を全力で楽しんだ。おそらく、次に家でコーヒーを淹れるのは数ヶ月後かもしれない。それまでの間、インスタントコーヒーと僕との闘いが続く。
だからこそ、今を大切にしなければならない。不確実性の中で、僕たちはそれぞれの「今」を生きている。そして、それが僕たち家族の独自のリズムである。誰もがそれぞれの方法で「今」を切り開いていく。その過程で何が待ち受けているかは分からない。その途中でいくつかの「仕方ないか」が僕たちを染め上げる。それでいい。それが人生だから。それが僕たちの人生の独自のリズムだから。
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