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宇宙探査機と家庭学

 人生とは一種のリズム、一種の音楽、一種のコードなのかもしれない。その音楽は一人ひとりに違っていて、それぞれの旋律が交錯することで美しいハーモニーが生まれる。一瞬の美しさで一生の記憶に刻まれる、アゲハ蝶のような短い入院の合間の日々を家族と過ごしていた。

 息子との通信は、宇宙探査機が地球と交流するような一方通行のコードで構築されている。彼が泣いたり笑ったりすることで、何を伝えたいのか、何を求めているのかが徐々に見えてきた。その複雑なコードが少しずつ解読されていくように。

 夜が来て、泣いて寝られない息子の状態が少しずつ改善している。もしかしたら、入院まではアレルギーの影響でお腹が痛かったのかもしれない。そうか、息子よ、君は泣いて訴えていたのか。もし僕がもっと早くそれに気づいていたら、君はそんなに泣かないで済んだのにね。ごめんよ、君のサインを見逃してしまって。

 それから、また再入院。風が秋の木の葉を散らすように、妻と息子は病院へと戻っていく。家は再び、コーヒーのカップとレコードの積み重ねと、何とも言えない寂寞が漂う場所に変わる。とはいえ、僕には仕事がある。ビールと音楽と、時々病院からの報告。息子の解読途中のコードに、ノスタルジックな微笑みを浮かべる。そう、息子の成長とともに解読されるそのコードが、僕の日常の小さな幸せであり、美しい旋律である。

 だから、この不確実性が散りばめられた人生のリズム、この読み解き途中の家族とのコード、それらはどれもが美しい。いつかその美しさは、僕が手に入れた最もレアなレコードや、最も美味しいコーヒー豆のように、僕の心の中で永遠に響き続けるだろう。

 確かに、病院と家、仕事と家庭、それらは絶えず僕を引っ張り合う二つの引力。しかし、その間に挟まれて感じる全ての喜び、痛み、そして美しさ、それが僕の生きている証なのだ。そして僕は、その証を大切にしながら、この不確実な坂道を転がり落ちる大きな石のような人生を、一日一日、音符一つ一つ、愛していく。

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