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血便の望まないアンコール

 妻の体調も安定し、病院に戻ることになった。息子も機嫌と体調は安定しているとのこと。安堵の瞬間だと、僕は思い込んでいた。でも、人生とはそういうものじゃない。そう思い出させてくれるのが、近所の神社だ。

 僕はよくその神社へ行き、ちょっとした神頼みをするのが日課になっている。"早くよくなってください、お願いします"と。まるで子供がクリスマスプレゼントをサンタにお願いするような、そんな無邪気な祈りだ。神さまはいつも笑っているような気がする。どうせならその笑顔を息子にも分けてくれればいいのに。

 だけどある日、また血便が出たという連絡が来た。神頼みも限界なのかな、と思った。医者は「まだ少しなので、様子を見ましょう」と言っているらしい。様子を見る?僕たちが何かハリウッド映画のサスペンスシーンに出演しているわけじゃないんだよ。

 怒りや焦りのような、何かモヤモヤした感情が僕の心を覆う。このモヤモヤ感は、まるで僕が20代のころに初めて読んだ哲学書を理解できなかった時のそれと似ている。何が言いたいのかさっぱりわからない。

 でも、この状況も一つの「ストーリー」なんだと思うようにしている。たとえそのストーリーが、僕の理想とはほど遠いものだとしても。何が起こるかわからない、それが人生だ。それが、何度も繰り返される。僕が好きな小説に繰り返し出てくる不可解な事件のようなもの。

 僕は明日も神社に行く。そして、何かいいことがあるように、また神頼みをする。だって、神さまもきっと何か面白い展開を用意してくれるだろうから。

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