魔道士の狂宴(1)
1、
放浪の戦士タルスはかつて、不本意ながら〈赫い剣〉の所持者として一時期を過ごしたが、その経験をもってしても、どうにも魔術や超自然の事物に対する胡乱な、或いは、厭わしい感情を拭い去ることは出来なかった。寧ろ、今この時のように、傍らの男に頼らねばならぬ状況にあってこそ、嫌悪感はいや増すのであった。
鉄灰色の髪を持つその男は、〈六本指のメルバ〉と呼ばれる、お尋ね者の魔法使いで、元はといえばタルスと同じ北大陸の出である。名高い師の下で修行し、さる王国の宮廷魔道士に推挽されたが、そこで語るも忌まわしい数々の所業を犯し、それが露見して遁走する仕儀と相成った。そしていまやタルス同様、南大陸を彷徨う漂泊の身の上なのだった。
両人がもう丸半日歩き続けているのは、一面、暗緑色の石で造られた都邑であった。壁も、石畳も、全て同じ石で出来ていて、目を凝らさないと何処に継ぎ目があるか判らなくなる。
家々はどれも層楼で、天を衝くほど背が高く、上方は、黄土色の煤煙じみた霞に溶けている。その先端が果たしてどこまで伸びているのか判然としなかったが、建物同士が、枝のように延びた架空通路で縦横に結ばれている奇怪な光景が拡がっているのだった。この都邑に夜は存在しない。辺りは常に薄ぼんやりと明るく、不明瞭ながら視界はあったが、太陽はどちらを向いても見当たらないのだった。
都邑の結構の範となったのはおそらく、古伝にいう、翠玉で彩られた樹状都市ダルタイスで、というのも此処は現の世界ではなく、魔女ドレラスの魔法によって創られた亜空間の〈場〉ーー仮初めの世界の内部なのだ。その証拠に、どれだけ渉猟したところで、都邑には果てがなかった。
タルスがツブリ国の京師ブブミルの下町に潜むメルバに助力を乞うたのは、タルス自身が〈底なし沼の魔女〉と呼ばれる魔女ドレラスに対抗する羽目に陥ったからで、それは南大陸での限られた知己、傭兵部隊の副隊長レセトが端緒なのだった。細身ながら精強な古兵である、橄欖色の肌の黒人戦士を、タルスは、はや何度目か恨めしく思い返すのだった。
*
ことの始めは、レセトたちの傭兵団が、大陸中央部ハガニン国の宰相殿の警護を請け負ったところからだった。戦争は常にあるが、なかにはこのような雇われ仕事もある。
宰相には狙われる心当たりがあった。あろうことか、国王の第二王妃と密かに通じていたのだ。色欲絡みだけでも際どいのだが、それが次代の王位に纏わる謀含みとなれば尚のことである。王は直ちに兵を差し向けたが、悪辣な宰相は第二王妃を囮に差し出して、己は旨旨と逃げおおせた。しかし執念深い王は、次の一手として、兵と併せて魔法使いを遣わした。魔女ドレラスである。
宰相の亡命先は隣国ザザで、彼にとって運のよいことに、ハガニンとザザの間には不可侵条約が結ばれたばかりであった。彼自身が苦心惨憺の末に取りまとめた約定であり、ザザ国王とも誼を通じている。仮にザザ国内で、宰相がハガニン勢に殺されでもしたら、ザザは此を領域侵犯の敵対行為とみなし、再び戦乱が巻き起こるかもしれなかった。つまり宰相の命運は、殺されずに国境を跨げるかどうかにかかっていた。
身柄を護るのは無論、傭兵団の仕事で、タルスがレセトに請われたのは、ドレラスを妨害する役目である。南大陸の傭兵たちは一般に、魔法や呪いを軽くみる傾向があり、タルスがドレラスの対応に回されたのはあくまで念の為の措置としてであった。気のいいレセトあたりは、財政が逼迫していたタルスに、手間賃が支払われるよう取り計らってくれたのかもしれない。その心意気は有り難かったが、北大陸で少なからず魔術に関わったことのあるタルスは、用心しなければ痛い目をみるのを知っていた。そこでメルバの出番である。
先ずもって、独立独歩の魔道士、呪い師たちにも緩い紐帯はあり、ドレラスに対峙して味方になってくれるか未知であった。しかしメルバのごとき爪弾きならば、その心配もない。加えて、詳細は判らねど、メルバと魔女の間には浅からぬ因縁があるらしく、文無しタルスの頼みにも乗り気なのが有り難かった。
尤もメルバ自身は、傍若無人、傲岸不遜が服を着ているような小男で、任務がなければ近づきたい人物ではない。
「あんた、間の子だろ? ふん、不細工な躰つきだな。親に捨てられたんだな」
会ってすぐ云われたメルバの台詞がこれで、確かにタルスは人間ではなく、ルルドとモーアキンの間の子、二親に捨てられたのも事実ではある。タルスとて、いちいち機嫌を損ねるほど繊細な性分ではないが、無礼には違いない。
「ぬかせ。色魔の黒魔道士め」
タルスが応じるとメルバは、蛇のような舌を厭らしくちらつかせて、嗤った。
メルバの病的に蒼白い貌には、北大陸某国の拷問吏に責め苛まれた無惨な傷痕が見受けられ、邪悪な魔道士の無気味さをいっそう際立たせていた。権力を利用して少年少女を集め、凌辱し、残虐に殺して告発されたこの卑劣漢は、断指や劓刑をほどこされながらも逃亡に成功した。〈六本指〉とは、残った指の本数からついた異名である。
タルスの作戦は単純なものだった。ドレラスの棲む沼畔の庵に出向き、足止めをする。宰相殿が国境を越えるまでの数日を引き留められれば、ひとまずの役には立つだろう。
こうしてタルスとメルバは、ドレラスが庵を結んだ底なし沼を目指したのだった。
2、
「無知蒙昧な野蛮人の貴様に、俺が直々に説明してやるから心して聞け。任意の二つの点を結ぶ最短は当然、直線だが、魔道士にとっては違うのだ」
底なし沼のある湿地帯を眼下に望む、小振りな丘陵を進みながら、メルバは講釈しだした。といっても、露払いに先行させたタルスに、一方的に喋り続けているだけなのだが。
「魔道士は、通常は閉ざされている次元を、魔法で開き、二点を直接繋げることが出来る。そこを使って、肉体すら移動させることも可能だ。これは太古、人間以外の種族たちは普通に持っていた叡智だ。人間では、魔道士にしか出来ないがな。しかしドレラスは今回、自身で出向くことはしないだろう。肉体を移動させるには危険が伴うし、呪力だけを送り込めば、目的を達せられるからだ」
「あの掘っ立て小屋にいながらにして、宰相を殺せると?」
思わず立ち止まって、振り返った。総身がそそけ立った。そんな得体の知れない力など、防ぎようがないのではなかろうか。
タルスは遠目からだが、すでに一度、ドレラスの棲む賤が家を下見していた。古い木材と石で組み上げられたあの粗末なあばら家で、斯様な神秘が行われるというのが、解せなかった。
「ああ、あの女ほどの呪力があれば、まず間違いなく可能だ」
「じゃあ、何故、今すぐやらない?」
タルスが訊ねると、メルバは半ば塞がった左目に軽蔑の色を浮かべた。
「魔術、呪術というのは、無知な輩の思っているような、出鱈目な、無手勝流ではないのだ。キチンと法則や手順がある。準備もなくいきなり空間を開いて、力を送り込める訳ではないし、力の反動や逆流が伴えば、己の身が危ない。いまドレラスは、力を蓄え、術式に最も適した時機を計っているところ、時満ちれば間違いなくやる。が、御安心召されよ!」
メルバが、芝居がかった大見得を切った。
「俺が、あの売女を止めてしんぜよう!」
「どうやって?」
別に合いの手を入れたわけではない。本当に見当もつかなかったからだった。
メルバは、聴衆たるタルスに六本指を振って、機嫌良く喋った。
「俺がこの丘のてっぺんから魔術を行う。俺が造った任意の亜空間に奴を引っ張り込んで、閉じ込めるのだ。魔術で創った牢獄に、魔女殿を繋ぐわけだ。予め用意した亜空間の〈場〉に陥れるのだから、星辰や時機も関係ない」
その魔術については聞いたことがあった。しかしーー。
「もし、亜空間を破られたらどうする?」
魔術で創ったものならば、魔術で破壊することが可能なのではないか?
メルバは気を悪くした様子で、俺様の亜空間は簡単には破れん、と語気を強めた。
「ただ、腐っても奴も呪術師だ。魔力の気配を察知されれば逃げられてしまうだろう。そちらの方が危うい。そこで」
貴様の出番だ、とメルバがタルスを指した。
「貴様には、俺が術をかけ易くなるように、ドレラスの気をそらしてもらう」
「陽動、ということか」
「そうだ」
タルスは澄まし顔のメルバを疑わしげに見遣った。遠間から術を掛けるのは、感づかれないためだとメルバは云うが、いまいち信用がならない。とはいえ、他に出来る手立てとてないのだった。
3、
訪いを入れると、幕扉がさっと払われ、中から魔女が顔を覗かせた。沼地には夜の帳が降りていて、瘴気漂う気味の悪い水面は闇に溶けていた。
紙燭の灯りに照らされたドレラスは、豊満な肉体を見せつけるように晒した婀娜な女だった。黒い肌の映える淡い色の長衣を纏っていたが、衣は、胸元も襟足も脚も大胆に露な意匠であった。漆黒の黒髪は五色の紐と一緒に編み込まれていて、そこに紅玉や碧玉や瑪瑙の髪飾りで装っているのだった。
しかし最も目立つのは、眦の吊り上がった、巴旦杏のような双眸だった。瞳もまたぬばたまの黒で、一睨みで魂を奪うという邪眼もかくやな煌めきを放っている。
その双眸が、スッと細く眇られた。琥珀や青玉の嵌まった指環のある両手を、タルスの顔を包み込まんばかりに翳す。
「南大陸じゃ、見ない顔だ。あんた人間じゃないね。まって、確かーータルスとか云うんじゃなかったかえ?」
ドレラスの声は掠れていたが、ゾクゾクするような艶かしさがあった。
「そうだがーー何故知っている?」
「〈底なし沼の魔女〉の耳は野兎よりも敏いのさ」
そういって魔女は、男の血が沸き立つような流し目をくれるのだった。
通された庵の中は、意外にも居心地の良い空間であった。室内はみすぼらしくないよう壁布で被われていた。燭は温げな光を投げかけ、香炉からは薫香が立ち上ぼり、饐えたような臭いの戸外とは隔絶している。
「それで、何の用さね?」
メルバは、魔女の気をそらせろ、と簡単に云うが、何をどうしてよいやら、である。ない頭をしきりに捻ったその結果が、この訪問であった。乱暴な襲撃も出来なくはないが、そこまでする義理もない。タルスは薦められた場所に腰を下ろし、胡座をかいた。
「失せ物探しを頼みたい。いや人探しかな」
「ほう?」
ドレラスは所定の位置に着くと、先を促した。
「この南大陸に、モーアキンの居残りが一人だけいると聞いている。そいつの居場所が知りたい」
それは、ある意味、真実の願いでもあった。タルスが北大陸からわざわざ渡ってきた目的のひとつが、そのたった一人のモーアキンに遇うことであった。モーアキン自体は無論、南より北大陸の方が残っていた。種族の多くが別の次元に去っていっても、この世界に居残った者たちだ。彼らのほとんどは閉鎖的で、外部との関わりを絶ってひっそりと暮らしている。この南大陸の何処かにいるという当該のモーアキンは、種族のある特異な地位にあった人物であり、それがタルスの知りたい情報に繋がると思われるのだった。
「云っておくけど、見料は高いよ」
両手の指を、三角屋根のように組んだドレラスが、鹿爪らしく述る。
「いくらだ?」
「そうさね、最低でも銀貨二十枚は頂きたいところだが……そんな物持ちにも見えないね。ただ……」
ドレラスは、じろじろとあからさまにタルスを値踏みした。その目に情欲の火が点る。
「……まだ、モーアキンの味見はしたことないね」
「俺はモーアキンとルルドの間の子だ」
「同じことさね」
ドレラスは指をほどいて、タルスの膝に這わせた。それはゾッとするほどに、淫らがましい動きであった。
「待て。先ず占っては貰えぬか。いや、先払いに気がすすまぬからではない。気が揉めて集中出来んからな」
タルスの話しぶりを、胆の小さいこと、とドレラスは嗤い、手を引っ込めた。一方、タルスは冷や汗ものである。メルバめ、ドレラスが、色好みの如何物食いなのを黙っておったな、と胸裏で毒づく。ことに及ぶのも結構だが、いたしている真っ最中に、メルバの攻撃を受け、巻き添えを食っては敵わない。
ドレラスの能くするのは、ガラの葉占いであった。
魔女は、壺から、幻覚作用があるガラという草の葉をひと掴み取り出し、香炉にくべると、すぐさま入神した。こうすることで、精霊界と交信し、彼らの囁きによって様々な事どもを識るのだという。
ガラの葉の焼ける、ツンとした刺激臭が、庵中に満ちた。ドレラスの目が裏返り、白目が剥き出しになった。ぽってりとした唇から真白な歯がのぞき、何やらぶつぶつと呟く。その度にやけに朱い舌が、沼蛇のそれのようにチロチロと閃くのだった。
どれほどその状態が続いたか、やにわに魔女の目が焦点を結び、タルスをひたと見据えて、ひと言、発した。
「トウヴィク!」
「トウヴィク?」
それは、聞き覚えのある詞ではなかったが、恐らくは地名であろうという推測はたった。しかし、タルスが重ねて訊ねようとする前に、事態は急変した。
ガラの葉の臭いとはまた違う異臭が、卒然と漂いだした。それは硫黄のような強烈な臭いで、同時に立ち現れた怪しげな黄色い煙が、みるみるドレラスの躰を巻いたのだった。
魔女の目が驚愕に見開かれた。
「これはーー。メルバの仕業! おのれ、妾を謀ったね、タルス!」
ドレラスの双眸が、いっそう吊り上がり、もはや獣めいた様になった。
「糞! 糞! 糞!」
どうやらドレラスは、呪術的な対応を為そうとしたようであったが、黄色い煙の攻勢の方が一足速かった。煙は竜巻のような渦を巻いて、立ち昇った。そして、渦の速度がさらに速まるにつれ、まるで蝋が熱で融けるように、ドレラスの躰が宙に消えていった。
魔女の呪詛らしき叫びはすでに、渦に紛れて聞こえてはこなかった。が、ドレラスの目の、瞋恚の焔だけは、最後まで残ったようだった。
煙が失せた後、庵にいるのは、タルスのみであった。
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