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魔道士の狂宴(2)

4、
 宰相殿が無事に亡命を果たしたという報せは、タルスがザザ国で傭兵団と合流したときに聞かされた。ドレラスとの対決から三日後のことで、タルスは、いつもなら酒や遊興に浪費してしまうであろう仕事の報酬に手をつけかねていた。銀貨は革袋に仕舞い込まれたままだった。傭兵部隊の副隊長レセトには、吝嗇吝嗇ケチケチしやがって、と笑われたが、タルスはへらへらと笑い返してかわすのだった。
 それは、あの日、ドレラスが告げた、〈トウヴィク〉という詞に関わっていた。複数人に確かめたが、やはり〈トウヴィク〉というのは地名で、話を合わせると、南大陸のさらに最南端近くに位置する土地らしかった。これは未だ北大陸に居た時分に、タルスが耳にしていた噂話とも整合していた。漠然と、南の南、としてしか判らなかった彼の地が、より具体的な姿を伴って目の前に立ち現れて来たのだった。タルスはトウヴィクを目指すことを決め、その為に路銀が必要なのだった。
 南へ向かう街道を往くついでに、タルスは、ツブリ国の京師みやこブブミルに立ち寄った。メルバに首尾を伝え、もうドレラスを解放して構わない、と云うつもりだった。正直、二度と逢いたくない相手であるが、言伝てで済む内容ではないだろう。
 メルバは、うら寂れた色街の片隅にある曖昧宿に、流連《いつづけ》していた。横に悪臭を放つ泥川が流れているそこは、一階が酒場で、二階に、三つばかり部屋のあるだけの安普請であった。
 寝乱れた髪と、しどけない寝衣しんいを、メルバは隠しもしなかった。生っ白い肌には、拷問痕とおぼしき、ひきつれが走っていた。傍らには、遊女が精魂尽きた風情で倒れ伏していて、憎悪の籠った眼差しを、上客であるはずのメルバに向けていた。
 人のつらのことなど到底云えた義理ではないが、どうもメルバは、殊更、醜いと蔑まれている遊女を選んで嗜虐している節があり、そこには、苦界という境遇とはまた別の不健全さを感じずにはいられなかった。
「仕事は終わった。ドレラスは離してもらっていい」
 メルバはタルスの話を聞いているのか、いないのか判らないような、つまらなそうな顔で酒杯を傾けていたが、不意に目をギラつかせて、遊女に、
「おい! これをくれてやる!」
 と、乱暴に小袋を投げつけた。
「たっ!」
 小袋は遊女の肩に当たった。女の形相はいっそう凶悪になったが、ひとまずは袋を拾って中をあらためた。
「なんだい、こりゃあ!」
 女の骨張った指が摘まんでいるのは、大きさといい、ちょうど骰子さいころのような四角い小石であった。しかし表面には何も描かれてはおらず、ただ鈍く光る黒い面が見えるだけである。尊大に、くれてやる、などと云う割には、価値のある物には見えない。
 遊女もまったく同じことを感じたと見える。
「莫迦にしやがって!」
 と、息巻いて、メルバに投げ返したが、魔道士がヒョイと避けると、小石は窓を抜けて、戸外へ落ちていった。
「嗚呼!」
 自分で投げておいて、急に惜しくなったのか、遊女は窓ににじり寄って、外の泥川をいじましく見遣った。
 メルバは、ゲラゲラと気が触れたように嗤った。酔っているのか知らないが、こんな痴れ者に付き合ってはおれぬ。タルスは、辞去しかけた。
「おい! 半々野郎!」
 メルバは、まだ嗤い顔のまま、呼び止めた。
「あの石だよ!」
「……何だって? 石?」
「ああ、今どこぞに飛んでいったあれだ! ドレラスはあの中に居る!」
 タルスは眉根を寄せた。魔道士の云うことをどれだけ真に受けてよいのか、判らなかった。
 酔眼でメルバが云う。
「先だって云ったろう? ドレラスを魔術で造った牢獄に繋ぐと。俺の造った亜空間はな、あの石が通路になっておるのだ。あの石が入り口であり、出口でもある。あれがなければ、さしもの俺様も、解放できん!」
「……何だと? じゃあ、あのままだと〈沼地の魔女〉は……?」
「そう、死ぬまで泥川の底だろうな。さぞかし良き臥所ふしどであろう!」
 タルスは絶句した。最低の下衆野郎だとは思っていたが、常軌を逸している。
「何故そこまで憎む?」
 ふん、と魔道士は盛大に鼻を鳴らした。
「あれはな、北大陸で俺の側女そばめだったのだ。同衾して気を許した隙に、俺を売りおった。抜かったわ!」
 ギラギラと、メルバの塞がっている左目が底光りした。
「そのお陰で、このご面相、この有り様よ! おまけに、行きがけの駄賃とばかりに、俺の黄金と、黄金には代えられぬソタル写本を盗みおったのだ! タルス、お主の依頼は、俺の復讐に、まっこと渡りに船だった訳よ!」
 興奮のあまり、口角に泡を吹く邪な魔道士が、心底、いとわしかった。
 タルスにしてみれば、メルバとドレラスの諍いなぞ知ったことではなかった。しかし、己の行動が、この下衆野郎の復讐を助勢したかと思うと、後味が悪いことこの上ない。
「俺たちはな、タルス。数多の次元、数多の場所で、人知れず、互いの寝首を掻こうと画策し合って来たのだ。だが近頃は双方とも手詰まりだった。我らは魔道の深秘に触れすぎたのだよ。仕掛けようにも、互いの気配を掴むや回避行動や反撃を企て、それをまた対手が察し決着はつかず……」
 メルバの、ドレラスへの執着は度を越していた。まるで恋情に身を焦がしているようだった。そこで気づいた。メルバが好んで醜女しこめを虐めるのは、あの艶冶えんやなドレラス、ひいては顔貌を壊された己への、歪な執着の発露ではあるまいかということだった。気分が悪くなった。
 やはりこやつのつらは二度と見たくない。
 が、直後に起きた出来事によって、四の五の云っている場合ではなくなった。
 それを見つけたのはタルスで、何かの間違いではないかと、思わず目をしばたたいた。
「おい……」
 メルバもまた、タルスの視線を追い、目をみはった。
 外を覗き込んでいた遊女は、さっきまでと同じ格好で、窓枠にもたれて寄りかかっていた。
 しかし、その四肢から力は失われ、グンニャリとなっていた。そして二人が見ている前で、ズルズルと躰が倒れていき、コロンと無造作に床に横たわったのだった。その勢いで、驚くほど鮮やかな血飛沫ちしぶきが、タルスの足下にまで飛び散った。
 遊女の躰からは、頚から上が、スッパリと消えて落ちていた。
 
5、
 タルスの判断は素早かった。音も気配もなく、こんなことを行えるのは、魔術の仕業でしかあり得ない。誰が誰を攻撃したのか、はたまた、全てが幻術めくらましの類いなのかは問題ではなかった。何れにせよ、直ちにその場を離脱すべきだった。
 尤も、これらの思惟は全て後理屈であり、実際は、死体を認識した端からタルスの躰は動き始めていた。
 部屋を出るなり、階段代わりの梯子を、ひと跳びで降りた。曖昧宿の出口までは、僅か数歩の道のりであった。タルスは一気に脱出を試みた。
 ところがーー。
「おうっ!」
 飛び出した先に、あるはずの裏路地がなかった。つまり、タルスの躰は宙に投げ出された。
 咄嗟に、二階分ほど下方に、地面らしきものがあるのは視認出来た。タルスは反射的に、そこを目掛けて、空中で体勢をとった。
 山猫の要領で回転し、着地には成功したものの、タルスは次の動作に移れなかった。それは、周囲の光景が、あまりに意想外であったからだった。
 タルスの降り立った場所は、高欄のない橋桁の上だった。幅が狭いところは同じだが、どこをどう見ても、ブブミルの裏路地ではない。
 いったいに、ブブミルの街並は、切り出した岩のせいで赤褐色をしていたが、いまタルスの居るのは、暗緑色で埋め尽くされた世界だった。しかも、見渡すかぎり、およそブブミルではお目にかかれない高層の建築物が列なっている。橋桁は、林立する層楼同士を結ぶ通路であった。数多の建物群を縦横無尽に接続している様は、あたかも全体で一つの構造体のようでもあった。
 橋桁から下を覗けば、目も眩むばかりの高さである。幸い、風はなく、端に近寄らなければ落ちることはないだろうが、足を滑らせでもしたら、ひとたまりもないだろう。
 此処は一体、何処なのか?
 疑問符で埋め尽くされそうになるが、数々の経験により、タルスの頭は実際的な事柄に機能するようになっていた。
 詮索は後に回すことにした。
 急ぎ足に橋桁を真っ直ぐ進む。通路は層楼に吸い込まれていた。暗い入り口から建物内部を窺い、危険がないと見るや、浸入した。
 内部もまた暗緑色のみで出来た世界だった。入ってすぐの小部屋を抜けると回廊があった。さっと眺めると、幾つもの開口部がある。そこで、同じ階層にある幾つかの部屋を見て回ったが、人はおろか生き物の気配は感じられない。そもそも、部屋はどれも、窓のない不可思議な造りで、到底、居住に適しているとは思えない。地下牢が並んでいるのと変わらなかった。
 それで気づいたのだが、建物内は、どこへ行っても、明るさが変わらないのだった。光源が見当たらないのに、あらゆる場所が、ぼんやりとした薄明の中にあり、奇怪千万なのである。
 やがてタルスは上下に伸びる螺旋階段を見つけた。暫し迷ってからタルスは、それを下ることにした。
 段を踏み外さないように注意しながらも、タルスは思考する。
 どうにも違和感が拭えなかったのだが、何処と指し示すことの出来ぬもどかしさがあった。或はそれは既視感とでも表すべき感覚だった。知っているのに思い出せない。忘れてしまった夢の残滓から、元の夢を再構築しようとするような、隔靴掻痒の感があった。
 螺旋階段を最下層まで降りきると、層楼の外に向けて開いている戸口があった。慎重に顔をつき出すが、今度は地面につながっているようだった。
 街路に人気ひとけはなく、死病で滅んだ都市もかくやと思われた。空気はどんよりと重く、微かに息苦しい気がした。
 そろそろと、警戒しながら歩いていると、視界の端に引っ掛かる何かがあった。それは、ほんのひと街区先に見え隠れする人影で、タルスは慌てて地を蹴り、それを追跡した。
 タルスの脚力は並以上のはずだった。それなのに、人影には一向に追い付けない。一見するとその影は、老人めいた、或いは怪我人めいた、辿々たどたどしく危なっかしい足取りだった。それがまるでタルスを誘うように、残り香めいた僅かな痕跡だけを漂わせて、追い付く前にさらに先へと消えてしまうのだった。
 苛立ったタルスが、猛追すると、今度は出会い頭に何かにぶつかった。
「ってぇ!」
 その不満げな喘ぎで、対手が誰か知れた。それは、〈六本指〉のメルバだった。
 
6、
 知っている顔に再会して、ほんの少しでも安堵してしまった己れが、恨めしかった。
 メルバは、タルスを見遣ると、ふん、と派手に鼻を鳴らした。
「おう、半々野郎か」
 相変わらず無礼な切り口上であるが、大道の真ん中で寝間着姿のままであるため、滑稽極まりない。タルスは余裕綽々で応じた。
「おお、これはこれはその名も高き南大陸いちの大色魔どのではありませぬか! ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまする!」
 タルスのいらえに、魔道士は目を剥いた。続けていい募る。
「いや大色魔でなく大魔道士どのだったかな? さぞやその賢きおつむで、快刀乱麻を断つように、此が何なのか御説明して戴けるのでしょうな?」
 タルスは手を広げ、田舎芝居のごとく大仰に周囲を見渡してみせた。毒気を抜かれた顔のメルバは、ペッと唾を吐いた。
「へっ、野蛮人の癖に、口が回るじゃねえか」
 しかし思い直したらしく、話し出した。
「どうやら俺たちは、亜空間に閉じ込められたようだな」
「亜空間だと?」
「ああ」
 メルバの述べるところでは、タルスがいま居るこの場所は、何者かによって「創られた」世界なのだという。メルバ自身が魔女を閉じ込めていたのも、同様の亜空間だ。
 説明を聞いていてタルスは、己の違和感の淵源に思い至った。此処が尋常の街ではない、と感ずる所以は、まるで芝居の書き割りに迷い込んだような感覚のせいなのだった。
「見てみろ」
 メルバが指差したのは、傍の建物の出入口であった。確かにその戸口の上辺の迫持アーチは、何とはなしに歪な弧を画いており、とても重量を支えているとは思えないのだった。
 例えば、己の想像だけで街をまるまるひとつ画くとする。知っている場所は詳しく細部まで画くことが出来るが、よく知らない場所は省略されるだろう。現実世界では構造として正しいかどうかで細部が決まるが、この世界では「創った」者が頓着しているかどうかで決まるのだ。
「まさか此処を創ったのは……?」
 メルバは苦々しげに吐き出した。
「ああ、まず間違いなく、ドレラスだ。売女め、俺の亜空間を破って意趣返しを仕掛けて来やがった」
 タルスはここぞとばかりに皮肉る。
「貴様の亜空間は、簡単には破られないのではなかったのか?」
 メルバはタルスを睨むと、口惜しげに云う。
「彼奴め、首尾よく〈核〉を見つけたようだ」
 いかに魔力を持っていようと、基本的に次元を操る能力のない人間ゾブオンには、いきなり亜空間を現出させることは叶わないらしい。タルスに見せた骰子状の黒石のように、実体のある物質を〈核〉にして、それを足掛かりに亜空間を構築するのだと云う。結果として、その〈核〉は、亜空間内部に留まるーー正確には内と外に同時に存在することになる。巧妙に隠された〈核〉を見つけて破壊すれば、亜空間自体を破壊することが出来るのだと云う。
 メルバがドレラスを落とした亜空間は、文字通り牢獄ーーいやさ棺桶であった。どうやら魔女憎しの余り、かなり窮屈な空間を創って閉じ込め、ドレラスをさいなんだようであった。しかしそれがあだとなって、〈核〉を見つけられたのだから間抜けと言うほかはない。
「では、俺が此処から出るには、その〈核〉を探さねばならぬ、ということか」
「そういうことになる。しかしーー」
 何やら嫌な予感がする。
「ドレラスの用いた〈核〉が、どんな形状をした何なのか、俺たちは知らない」
「……あの、黒石じゃないのか」
「あれは俺が使っただけの物だ。元来〈核〉に決まりはない。術者が魔力を込めることが出来ればなんでもいいのだ」
「とすると……」
 タルスはゾッとした。この広大な都市の中から、どれが正解かも判別出来ぬモノを見つけねばならぬ、ということだ。
 こうしてタルスと黒魔道士は、縦横無尽に拡がる樹状都市を探索する羽目に陥ったのだった。

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