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剣の魔(後編)

3、
 咄嗟に出来た動きは、回避だけだった。熾火を蹴散らしながら送られてきた斬撃を、タルスは横に跳び、辛うじてかわした。
 追い縋るレセトの追撃にも、油断のならない鋭さが込められていたが、タルスは地面に転がり、これも避けることに成功した。移動によって得た位置取りは、丁度、出口側であり、タルスは警戒しながらも、ジリジリと後ずさった。
 この攻撃によってタルスは、レセトが何者かに操られているのだと確信した。本来のレセトは、ずっと仮借ない戦運いくさはこびをする。相手に退路を許すなどという不覚をとるはずもなかった。実際、レセトの眼差しは精彩を欠き、どこか虚ろであった。とは云え、戦意があるのは間違いない。
 考えるいとまはなかった。レセトが次なる来襲の動きに入ったときには、タルスは腹を括っていた。先ずはレセトの動きを止めるーーそれだけに専心することにした。
 瞬時に気息を整えると、タルスはいっさんに斜め前の壁に向け走った。跳んで壁を蹴ると、反動を使って、天井まで駆け上る。ましらのような挙動をレセトは、明らかに追いきれていなかった。レセトが上方を仰いで、襲撃に備えたときには、タルスはすでに天井から床に移動していた。蛙みたくしゃがみこんだ、腰を落とした体勢で、タルスの躰がつむじかぜのように旋回した。強烈な足払いがレセトの脚を襲った。邪行を用いて、鉄棍の硬さに変じた蹴りは、容赦なくレセトのすねの骨を叩き折った。どう、とレセトが尻餅をついた。
 素早く立ち上がり、身構えたタルスは、一旦、石室の外に退いて態勢を立て直すか、将又はたまた、レセトを正気に戻す手立てを探るか、しばし躊躇した。彼我ひがに充分な間合いがあることも、タルスの警戒を弛めたのかもしれない。
 しかし、それは間違いであった。
 立ち上がろうともがくレセトが、不意に件の剣をタルスに向けるや、それが起こった。短めの剣身が、まるで己が金属であることを忘れたみたいに、シュルルッと伸長した。毒蛇の舌先めいた剣先が、飛鳥ひちょうはやさでタルスを襲った。意想外の動きに、さしものタルスも防御が遅れた。
「ぐうっ!」
 二股に分かれた切先が、腹に食い込んだ。タルスが、勢いを殺すべく後ろに跳ばなければ、確実にはらわたを引き裂いていたであろう。鍛え上げられた分厚い筋肉にくと脂肪の層が、何とか内臓への侵入を阻んだのだった。剣身が、まさに舌先めいた動きで縮み、元の長さに戻ったお陰でもある。
 それでも浅傷あさでとは言い難かった。腹の出血を手で圧迫すると、本能的にタルスは、出口を目指した。こけけつまろびつしながら、這々ほうほうていで、隧道の外まで飛び出した。
 雨勢うせいは弱まっていたが、気温はさらに下がっていた。ピリピリとはだを刺す夜気が、深々と山域に満ちている。
 タルスは、入り口から数馬身は距離をとった場所で立ち止まった。そこで、腹を押さえたまま、膝頭を地に着ける。うめき声が洩れた。腹を布で巻きたいところだが、無い物ねだりだった。濡れそぼちながら、隧道の入り口である巨巖きょがんの隙間を見守った。月も星もなかったが、石室から溢れてくる仄かな灯りが、闇を切り取っていた。
 やがてーー。
 レセトの影法師が、入り口から現れ出でた。脚の骨が折れた痛みなど、まったく意に介した様子はない。その口は相変わらず未知の言語を発しており、いまやタルスは、それが、つかに刻まれたことばであることを、確信していた。
 あの剣がすべての元凶なのは、疑い得なかった。
 最も理に適った選択は、このままレセトを置いて逃げることだった。超自然のことどもは、タルスの最も忌避するところであり、可能であれば、今すぐ踵を返して、この場を立ち去りたかった。
 が、それではレセトは呪いにかかったままであろう。いまいましいことには、仮にタルスがレセトを殺したとしても、剣の呪いが解けるとは限らないのだった。
 レセトがそのまま、歩き回る屍体として、おぞましい腐乱した姿を晒し続けることは想像できた。肉が剥がれ、骨が折れ、その身が朽ちるまで彷徨うのだ。斯様な辱しめを、友に強いるのは、さしものタルスにも迷いがあった。
 よし、とタルスは決意した。やれるだけやる。呪いの本体とおぼしき剣をレセトから引き剥がし、破壊する。その後はーーその後で考える。
 立ち上がったタルスが特異な呼吸法を行うと、一時的にだが、腹の出血が止まった。どころか、総身の筋肉が膨れ、一回り大きくなったかのようである。
 タルスは、僅かに腰を落として、油断のない身構えをとった。息は緩やかに、目は半眼になった。
 レセトが、少しギクシャクとした動作で、向かってきた。
 
4、
 タルスは、今のレセトがどのように知覚し、動いているのか判じかねていた。妖魅なり悪霊なりに憑かれた者は、常のごとく、目で見たり耳で聴いたりしているのか知らなかった。果たして、目つぶしその他の戦法は有効なのだろうか?
 また、レセトは脚を折っても、痛みを感じているようには見えない。負傷や痛みが戦いの障害にならないならば、どうやって止めることができるのか?
 レセトが無造作にふるった剣が、先のごとく、鋭く伸びて迫ったとき、タルスの頭を占めていたのは斯様なことどもであったが、思惟とは別に、からだは既に動作に入っていた。
 それは、敵と正面から相対せずに、横へ横へと回り込む動きだった。特異な歩法によって、相手には間合いを掴ませずに、有利な位置を取る。常に相手の側面を狙って攻撃するという邪行僧の武技なのだが、果たして今のレセトに有効なのかは、やってみなければ分からなかった。
 タルスの躱した剣先は、一度、レセトの手許に戻った。どうやら伸びっぱなしには出来ないと見える。
 レセトが、ぎこちないながらも足を使って、タルスに追い縋る。再び、剣が来襲した。タルスは機敏な動きで、方向転換した。今度は来た方に戻り、又もや剣先を外した。そして、一足飛びにレセトとの間合いを詰めた。引き波に砂浜の砂が追随するように、戻る剣にぴったりと合わせて懐に飛び込んだのである。
 タルスの両手が、剣を握るレセトの右腕うわんを掴んだ。素早く体を後ろに引きながら、レセトの腕を捻ると、副隊長どのは均衡を失って、つんのめるように、頭から地面に突っ込んだ。徒手で対手を制圧する技が上手く掛かったことに、タルスの胸は一瞬だけ軽くなったが、問題はこれからだった。
 タルスが力を籠めると、レセトが獣のような唸り声をあげた。
 タルスがめたレセトの腕は、未だ剣を握りしめたままだった。通常、肩や肘、手首の関節を極めていれば、得物を奪う機会は格段に増す。しかし、今の相手は手練れの傭兵であり、しかも悪霊憑きである。
 案の定、腕を取られていることなど物ともせずに、レセトは暴れだした。もはやタルスの役目は、駻馬かんばを御さんとする馬喰ばくろうめいて来ていた。レセトは、無理やりに躰を起き上がらせようともがきにもがいた。腕が折れようとも、一向に構わない様子である。その常軌を逸した狂乱ぶりは、次第に手がつけられなくなってきた。とても剣を手放させるどころではない。押さえつけるだけで精一杯であった。
 ーーせめて、一瞬でも気抜けしてくれれば。
「番神ガーシントよ!」
 タルスが神頼みをするや、信じがたいことが起こった。ほんの僅かな瞬間、レセトの力が緩まったのだった。好機を見逃すタルスではなかった。精妙な角度に腕をねじり直し、ひと息に剣をもぎ取った。そしてそれを遠くへ弾き飛ばしたのだった。魔剣が岩場に転がり、乾いた音を立てた。
 不意にレセトの動きが止まり、操り人形の糸が切れたように、パタリとその場に突っ伏した。
 タルスもまた、尻餅をついて、狗のように喘いだ。
 そのとき、どこからか、悲鳴が上がった。
「あんたたち! 仲間割れかい!」
 虚脱感の中、顔を向けた先に立っていたのは、あの山賊の情婦だった。
 
5、
 山肌は、暁光で薔薇色に染まっていた。雨雲は夜明け前に去り、西のかたは、好天が期待できそうな空模様だった。
 ところどころ泥濘ぬかるみの残る杣道を、タルスたちはなるたけ急いで進んでいた。とはいえ満身創痍ゆえ歩みは鈍い。レセトは足を骨折しているし、タルスはと云えば、腹が裂けているうえ、件の剣を破壊力するために、大岩を持ち上げて何度も打ち下ろす作業をしたばかりだ。
「あんた、大丈夫かい?」
「おう、どうってこたぁない」
 しきりにレセトを気遣う甘い囁きに、レセトが豪傑笑いで応える。凭れ合って歩く二人が先行し、タルスが殿しんがりだった。タルスは憮然となった。俺はそいつに腹を刺されてるんだぞ、と胸のうちで苦り切る。
 尤も、メルーと云う名の山賊の情婦がやって来てレセトの気を逸らさなければ、言い換えれば、レセトが度を越した女好きでなければ、今こうして無事でいないのかもしれない、と思うと、無下にはできないのだった。メルー本人の口を借りれば、彼女は、レセトの侠気おとこぎとやらに、ぞっこん惚れてしまったーーらしい。それで、山賊の追っ手を見当違いの方角に追いやると、レセトの身を案じて馳せ参じたのだと云う。
 何のことはない。レセトは首尾よく目的を果たし、タルスは傷を負っただけなのだった。
 甲斐甲斐しく世話を焼く女の阿太っぽい声音こわねと、満更でもなさそうなレセトの浮わついた返事が晴れ渡った空の下に響くと、何故かタルスの疲労は、いや増すのだった。
 (了)

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