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桜文

舞台「桜文」
@PARCO劇場

吉原の遊郭、宝珠楼の遊女の物語。

観劇した感想としては
「凄かった」、「圧巻だった」
これだけだと薄っぺらく感じてしまうかもしれないけれど本当にこれしか出てこない。
(こういう時にちゃんと表現出来る語彙力が欲しい)


演者さん達の迫力ある演技、PARCO劇場のつくり
これらによって見ている側も作品、吉原の世界に入り込んでいるかのように感じたな。


作品に入り込んでいるように感じる分、
終わった後に一気にドッと来る。
この感じもまた良い。
でもその分、苦しさも感じたり。
そんな感じで見ている側も感情がいっぱい揺さぶられる舞台でした。



(ここから先ネタバレ要素あり)


「運命の歯車が狂って~」とかよく言うけど
正にその言葉通りだなって思った。

「あの時与平が体調を崩していなかったら」
「霧野先生があの時家を空けなかったら」
「碧ちゃんが葵ちゃんに手紙を持っているのがバレなかったら」
「葵ちゃんが西条に手紙を渡しちゃわなかったら」
「あの時霧野先生が西条に騙されなかったら」

ひょんとした事のかけ違いで
ガラッと運命が変わってしまって…
いや、もしかしたらそうなるのも運命だったのかな

2回目、3回目の観劇の時は結末を知ってしまっている分、「あー、それちょっと待って…」とか思ってしまったり。



あと史緒里ちゃんの演技も凄かった。
笹沖雅沙子役と桜雅花魁役、物語上同一人物ではあるけど、全くの別人のようにさえ感じた。

そう感じた要素の1つが声かな
桜雅の時と雅沙子ちゃんの時とでは全然違かった。
雅沙子ちゃんはいかにも元気な16歳と
言わんばかりの弾けるような声。
桜雅はどこかに影を感じるような少し暗い声。


あとこれは別人に感じたって話よりかは
雅沙子ちゃんと桜雅の対比って部分の話だけど、
台詞が印象に残ったかな。

霧野先生と桜雅が始めの方に部屋で話すシーン
「吉原の遊女は売り物、一分一秒でもお足がかかりんす」(正確かはちょっと怪しい)
と言っていたのに対し、二幕の雅沙子ちゃんの時は
「私は売り物なんかじゃない」(これも正確か不安)
って泣き叫んでた。


最初は売り物じゃないと言っていたのが、
自分が家族を養わなければいけないなど色々と重なるうちに、自分を押し殺してどこか割り切りじゃないけど運命を受け入れたんだろうなって

でも別人のように感じられていたのが霧野先生に仙太の話をする内に徐々に押し殺していた雅沙子ちゃんの部分が出てきて段々2人が寄っていくと言うか重なっていく様な感じがしたな。


そう言う描写なのかは定かじゃないけど、
自分がこう感じたって感覚は大切にしておきたいから一応書いておこ。
 



あと今回は3回観劇に行けた分、
舞台ならではだなと感じる事がたくさんあった。

初日は台詞を少し噛んでしまっていたり、
14日の公演行った方なら分かるかなり大きなハプニング、でも演技で見える物にしたり、
公演を重ねる毎に大きくなる雅沙子ちゃんの笑い声。

日に日に変わって行く舞台の良さを感じられた。



あとは与平さんが登場人物の中で好きだな。
与平さんは霧野先生に
「桜雅に対して普通の娘のように接してくれている」って言っていたけど与平さんもそうだと思うんですよね。

西条の桜雅を自分の物にしたい欲求
宝珠楼の宝谷夫妻の儲けたい欲求
霧野先生の書きたい欲求などなど…
登場人物の多くが欲求にかられる中、
一番裏表なく、真っ直ぐ桜雅に接していたのは与平さんだと思うな。
その真っ直ぐさが好きだと思ったのかな。





何か書いておきたいことがあったような気がするけど今は出てこないからまた出てきたら加筆しよ。


何より東京公演無事に駆け抜けられたこと本当によかったです、お疲れ様でした。
東京千秋楽、沢山の大きな拍手の鳴り止まぬ
あの空間に居られたこと嬉しく思います。
地方公演でも沢山の方にこの素敵な作品が届きますよう祈っています。
どうか最後まで無事に駆け抜けられますように。




あ、一つだけ書きたかったこと思い出した。
11月に注文した匂い袋でまたこの期間のことを思い出すのが楽しみです☺︎


2022.9.25 シュウ

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