愛を与えてくれる人を見失わないように、愛される自分をしっかり愛す


今日は「死にたい」と「きえたい」について考えたいと思う。

休職中、時間が有り余っている私は殆どを寝たきりで過ごし、たまに起きて元気なときはスマホをひらいてスレッズを見る事が多かった。(精神疾患経験者ならわかると思うが、一日基本的に無気力・鉛のような体をもちあげるのはせいぜいご飯やトイレのときだけ。お風呂だって2-3日に一回だった。これでも私はかなり軽い症状だと思う。)

流れてくるスレッズの内容はほぼ鬱やパニック障害などの精神障害をかかえている人のつぶやき。みればみるほど、自分なんて幸せものだ。と感じる。

しばらく見ていると、ずらりとならんだ苦しみの言葉の海の中に「死にたい」と「きえたい」2種類の言葉があることに気づく。意味としては同じ意味と捉えられそうだが、わたしはきっと下記違いがあるのではと思った。

「死にたい」といっている人は、
自分自身の生まれ育った環境、生活環境や仕事環境・社会に対して恨みがあり、孤独に苦しみ、もがいている人。

「きえたい」といっている人は、
自分自身の幼稚さやできないことの多さ、自分の失敗や罪など自分を責めて苦しみ、生きにくさを感じている人。

決して完全に分断できるわけではないと思うが、そこには《まだ自分を愛してくれる人がいる認識があるかそうでないか》も関係しているのではないかと感じた。

というのも、比較的軽症の私でも休職してからしばらくは希死念慮が消えなかった。

自分自身が生きていることがとにかく気持ち悪くて、窓から飛び出そうか、首を吊ろうか、いや、家で死ぬと夫が賠償金?を払わなければいけなくなるかもしれないし、そもそも飛び降りたり紐を結んだり死ぬ方法を調べる元気がない。もしくは、富士の樹海に行けば遭難し衰弱して死ねるだろうか。いやいやこれも労力なんてこれっぽっちもない。。
などと具体的に考えたとき、どの死に方でも結果的に大好きな夫や家族、私を好きでいてくれている友人たち、心配してくれる元同僚たちを悲しませてしまうことになるということを考えてしまうのである。

自分の苦しみのせいで、大事な人達を傷つけることは絶対したくない。
それになんなら大好きな人達にありがとう。『あなたたちのおかげで楽しかった。愛してる。』と一人ひとり言ってから、みんなの中の私の記憶をすべて消して「きえたい」と、そう思った。それがもしできたとしたら、みんなを悲しませずにすむから。

だから、「きえたい」なのだ。

とはいえ、私はまだ周りの愛を認識できているから幸せものだ。

そもそも自分には愛してくれる人がいないと思っている人はもちろん、最初は愛してくれている人を認識できていたとしても、症状が重くなると、身近な人の愛情にも疑念を感じるようになる。そして自己嫌悪で周りが見えなくなり、自分の存在がひとり暗闇の深い井戸の中に閉じ込められたようになるのだ。そんな中で、自分を愛してくれる人をみつける・愛してくれる人の声がその人に届くのはかなり難しい。きっと苦しくてたまらないはず。

この想定は当事者ではない軽症の私の想像でしかないから、当事者はもっともっと辛いだろうと思う。

私の話に戻ろう。特に「きえたい」という感情に対して一番私をとどまらせたのは夫と家族の存在だ。

私の兄はパニック障害を抱えている。兄が障害を持っていることを知ったのはつい3年前ほどだ。私が物心ついたときには両親は私に一切その話をしなかった。
でも親が「お兄ちゃんのことについて話してくる」と定期的に会議をしていたり、公立の高校にはいらなかったこと、父が単身赴任で海外に行った3年間の兄の荒れ具合に特に何も聞かず、母が泣き崩れる様子を横目に見ながらなにかあるんだろうなとうけいれてはいた。
あの頃は兄に風呂場や部屋のドアを蹴破られたり、どんどん家で無口になり部屋にこもるようになった私に「あいつは病気や!」と暴言はかれたり、兄が怖くて仕方がなかったっけ。

最近は兄も穏やかになり、自分から開示してくれるようになってくれたので実兄とは仲も良くなり辛いことも共有しているが、兄がしんどいことを小さい頃から何年も何年も我慢しているのに妹で最近なったばかりの私が「いなくなる」選択をしてはいけないと思った。

夫に関しては、彼の友人も鬱で自傷行為・入院していたことがあり、その時に近くで見守っていたそうで症状についてもある程度知識がある。

そして、夫のお兄さんは鬱病で自ら命を絶っている。お会いしたことはもちろんないが、一度だけお墓参りに連れて行っていただいたときに何故かぼろぼろと涙が流れた。

私が「きえる」という行為をしてはいけないと言う思いが人一倍強いのは、大好きな夫にこれ以上つらい思いをしてほしくないという思いが一番大きい。

家族全員が、精神疾患に理解があることが私にとって救いだった。精神疾患に罹患しないとわからないことはたくさん、本当にたくさんあると思う。
精神疾患が甘えと、相手の無知ゆえに心無いことを言われることが現実ではたくさんあるからだ。スレッズで見たつぶやきにも会社関係はもちろん、知人や友人、家族にでさえひどいことを言われている人もたくさんいた。

幸い、私は会社の人たち含めとってもとっても周りに恵まれている。
今私を愛し支えてくれている夫・家族や多く友人のために、私は必ず自分のことも心から愛せるように環境や生活を変え、寛解する。

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