最近では恥ずかしげもなく「愛!愛!愛!」と言ったり書いたりしている。
ただ、私の中にずっとあった源流があって、この宇宙や天体のタイミングなのか、単純に年をとったからなのかわからないが、明らかに今!溢れるようにアウトプットしている気がしているのだ。
この源流とは、
30年以上前の中学生の時に見たこのドキュメントだと思う。
「幸ちゃんは2歳、たった一人で海を渡った」
は、確か21時くらいのドキュメント番組ではなかったろうか?(YouTubeに動画がありました)
今見返せばここは赤ちゃんのゆりかごの病院?系列なのか?
熊本のクリスチャン系の乳児院だ。
さっちゃんはそこで「びろちゃん」という保母と生活し、2歳で日系アメリカ人のご夫婦に引き取られていくまでを追っている。
このドキュメントは衝撃的だった。
畳や障子の部屋など、家庭的な雰囲気の綺麗な施設で大事に育てられ、施設以外の生活を知るために「びろちゃん」のアパートにお泊りなどもする。
縁組が決まり、徐々にご夫婦に慣らすとき、さっちゃんは「寿美ちゃん」と名が変わった。
乳児院は2歳になれば居を変えなければならない。
ケースマザーとして2年育て、どんなに可愛い盛りでも誕生日ケーキに2本以上のろうそくが立つことはない。
縁組が決まったら夫婦との時間を増やし、びろちゃんとの分離が始まる。
さっちゃんは2歳の小さな身体で、人生が新しい道に入ったことを察知し警戒し、小さな手をぎゅっと握りしめる。
最後の別れの朝、びろちゃんが作ったアヒルのリュックを背負って「びろちゃん!びろちゃん!」と泣きながら新しい母に抱かれ空港への車に乗り込んだ。
このドキュメントの次の日、堪らず学校で内容を話しては泣き同級生に笑われた。
けれど30数年たった今でも、このドキュメントを語れば涙、YouTubeで見つけ飛びついて見ればやはり冒頭2分で涙。
このドキュメントが私に大きな影響を与え、家族と愛について、ちょっと当たり前ではない価値観を深く根付かせたのだと思っている。
時が過ぎてもこのさっちゃんとびろちゃんは何度も折に触れて思い出していた。
可愛いさっちゃんとの別れは若いびろちゃんには辛かったろうと思った。
乳児院の保母の職責において別れに泣き崩れる訳にはいかない。
その点で乳児院で働くという事は精神的に辛いだろうと、同じ年代になり社会人になった私も、少し大人になって振り返ったりもした。
そんな時、当時働いていた産婦人科でまさかのびろちゃんと同じような経験をしたのだ。
産んだ後、すぐに里子に出すと決めた母がいると外来から情報が上がった。
こういうケースの場合、新生児は分娩室からまっすぐにベビー室預かりになり、その後施設に行くまで母の元には行かずずっと看護師や助産師と過ごすのだ。
私も初めての経験だった。
当時は毋子同室ではなかったので、赤ちゃんが泣いたら母を起こしに行くのだが、その子はずっと私と8時間一緒にいた。
泣けば母に任せるのと違い、ミルクを飲ませ、おむつを変え、抱っこで寝かせて一晩過ごした。
トントンと抱きながら、鼻歌で子守唄を歌い、片手では記録を書いた。
体重のあるしっかりした子だったので、お互い抱いていれば温かく、すう〜と寝入って口がぽっかり開いても抱き続けていた。
職責以上の感情が生まれないわけはなかった。
けれどこの特別な感情は「この子は可哀想な子」という同情心もでもなかった。
ただ世話をする事で生まれる…私とあの子の間に氣が巡ったのだ。
当時の私はサラリーマン並みの給料があった。
が、もちろん独身では里親にはなれないと、周りの師長や助産師が遠回りに牽制した。
私がこの子に入れ込む姿を心配して見守ってくれていた。
乳児院が決まり退院していく日、師長さんはは私に引き渡しをさせた。
院のおくるみに包み職員に手渡した。
この温もりを私の腕に抱くことはもうないのだなと思った。
ぼたぼた落ちる涙は止められなかったが、何事もないかのように職員に引き継ぎをした。
あれから20年以上経ち、あの日あの子を育てる事になんの不安もなかったが、今、自分の子育ては暗中模索、右往左往としている。
若かったと言えばそれまでだし、考えが浅はかすぎると言われれば全くその通りだと思う。
ただ、
あの日の源流は私の中でまったく枯れてはいない。
むしろ、自分が出せる愛やスキルや資源を多くの人が出し合って子育てする事はもっと簡単にできると強く思い始めている。
産む事、親になる事に格段上の付加価値をつけすぎなのだ。
愛は親だけが持っているわけではない!
既成概念や世間体を私たちが作り変えていけばいい。
二親に子供!と言うくくりを外してみんなで子育てをする。
実は人間の営みは至ってシンプル。
食べて寝て働く(勉強する)。
先日白蛇の夢を見たから宝くじを買うと笑い話で話しているが、実はけっこう本気だったりする。
大きな家があれば、シェアハウスとして買おうと思っている。
寝る場所と知恵とマンパワーさえ集まれば夫婦世帯並みの収入がなくても生きていける。
(ちなみに私は計算が苦手。そろばんをはじけるマンパワーが必要笑)
子育てが終われば勝手にグループホーム。おもしろいじゃないか!(笑)
この愛の源流は、ドキュメントを見た中学生の私と、今の私とを1ミリも変えずにここまで運んでくれた。
今は、あの日の愛に背かず生きてきたという自負が私を支えている。
多分、私はやり遂げる。
形はわからないが、この先も愛に生きる。
なんの根拠もないが
多分、そうなんだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?