子育て11年め、じゃぶじゃぶ池ラストイヤー
「じゃぶじゃぶ池」。
ふざけているとしか思えない語感のこの言葉が、行政のマップにも載っている正式名称だと知ったのは、子育てを始めて1年が過ぎた頃だった。
それ以前にも、暑い日のニュース映像で噴水など公園の親水施設で水遊びをする子どもの姿を見たことはあった。でもそれは、暑過ぎるあまり、子どもが噴水に「入っちゃった」のだと思っていた。まさか、公園内に「ここで水遊びしていいですよ」と公式に許されている場所があるだなんて。
長女が歩き始めた1歳の夏、じゃぶじゃぶ池の存在を認識した私は、行政のマップを頼りにあちこちのじゃぶじゃぶ池へ遊びに行くようになった。「午前中、水遊びでくたくたにさせれば、午後はすんなり昼寝をする」という事実が判明してからは、「この午前中さえがんばれば…!」という気持ちがさらに私を奮い立たせた。プールと違ってお金がかからないのもいい。
長女が小学校へ上がるまでの5年間、そして次女が歩くようになって現在5年め。途中、次女の妊娠・赤ちゃん期、コロナ禍、次女怪我によるギプス装着など、なかなか行けない年もありつつ、ほぼ10年にわたってじゃぶじゃぶ池で遊び続けてきた。特に、長女1人しかいない頃は子育てのすべてが新鮮で、遠方の区の新規開拓にも励んでいた。
そしていつしか、ここは6月の週末から供用開始、ここはおむつ禁止、ここは何曜日が清掃日など、近隣のじゃぶじゃぶ池事情に異常に詳しくなった。誰かに聞かれたら詳しく説明してあげたいのだけれど、誰も聞いてこない。じゃぶじゃぶ池にそこまで執着してるのは我が家ぐらいなのだろう。
7年目、8年目ぐらいの頃、遊ぶ子を横目で見つつ、水に足だけ浸けながら、「ああ、私これ何年やってんだろう…」と思うこともあった。しかし最近、永遠に続くと思っていたこの夏の過ごし方も、次女が年長の今年が最後なんだと気づいた。
一緒に流れの中に入り、よちよち歩きの両手を後ろから持って歩いた1歳。カップとジョーロで水を汲むだけで楽しかった2歳。水泳教室など他の用事が増えてきた3歳以降も、連れて行けばやはり喜んで遊ぶ。お友達も一緒ならなおさら。何年か前からは背負うタイプの水鉄砲が安価で登場し、「人や道路に向けて打ってはダメよ」と注意されながら、ダイナミックに遊んでいる。
長女が1歳の頃の写真を見ると、まだ30代前半だった私は、今なら絶対に無理なショートパンツを履いている。10年が経ち、あの頃のような若さはなく、帰宅後の午後はソファで昼寝必須だけど、やはり晴れていて何も予定がない日の午前中は「お水行く?」と子に問うてしまう。
ただし、1対1で遊んであげるのはover40的にしんどいので、長女の頃と比べ、お友達と誘い合わせて行くほうが圧倒的に多くなった。そして、そうやって親同士が連絡を取り合ってよく遊んでいるお友達も、小学校に上がったらあっさりそうではなくなることを、長女での経験上知っている。こちらも「最後の夏」だ。
「子育て世代に社会は厳しい。ぴえん」とブログ等でアピールし、ママたちからの支持を集めようとするタレント(のヤフトピ)をたまに見かけるが、社会は案外やさしくできていると思う。おむつ替えシートなんてせいぜい3歳までしか使わないのに、いまや多くの施設に設置されている。ほぼ未就学児しか遊ばないじゃぶじゃぶ池も、毎年毎日、律儀に水が流れている。
社会に憤慨している彼女たちは、子ども向けじゃない施設へわざわざ出向き、「子ども向けの社会になっていない!」と怒っているのだろう。パワーの使い方がもったいないな、と思う。
と、話が逸れたが、我が家はとにかくじゃぶじゃぶ池の恩恵に与りまくった。太陽の日差しと水が流れる音、水着で遊ぶ子どもの姿。小さ過ぎた子どもたちの記憶には留まらなくても、私はいつまでも覚えているだろう。最後の夏。思い切り楽しみたい。