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Tell It Like It Is

アラン・トゥーサンがミニット・レコードのオーディションにやってきたアーロン・ネヴィルの声にほれ込み、契約したのは1960年。盗難車に乗っていた罪で半年間収監されていた刑務所から釈放されてすぐのことです。ミニットからのデビューシングルは「Over You」でローカルでヒットしました。
しかし、その後のシングルはパッとせず、63年にはミニット自体がリバティーに買われちゃいます。で、アーロンとの契約も当然打ち切り。
アーロンはその後の数年間、ロスとニューオーリンズを行ったり来たりしていたそう。

1966年に作曲家のジョージ・デイヴィスに声をかけられます。「Teii It Like It Is」という曲を書こうとしているんだが歌わないか、と。タイトルだけ決まっており、曲はまだ出来上がっていません。デイヴィスの他に、アルヴィン・レッド・タイラー、それに学校の教師であったウォーレン・パーカーがこのプロジェクト・チームでした。

当初作詞を担当していたリー・ダイアモンドが完成前に刑務所に入れられるというすったもんだがありましたが、最後はデイヴィスが仕上げ、それをスタジオで吹き込み、関係者一同ヒット間違いなしと思っていたようです。しかし、デイヴィスとパーカーがニューヨークへ売り込みに行っても、どこにも相手にされず、しょうがないのでパーローというレーベルを自分たちで立ち上げ、レコードを作ることにしました。

そして、配給をコジモ・マタッサのドーヴァーレコードに任せました。そのうえで、ニューオーリンズのトップDJであったラリー・マッキンリーに版権の半分を差し出しました。
当然、マッキンリーがそのシングルをがんがんかけると、他の局も追随し、4万枚を売り上げるヒットとなります。そしてそれが波及し、全米R&Bチャートで5週首位、ポップチャートでは2位まで上がりました。

その裏には1000枚配給すると300枚もらえるという契約があったそうです。
通常このような販促については、15万枚売り上げるぐらいまでで、それ以降はそのような優遇措置はやめるそうですが、ずっとそのままで200万枚売れてしまいました。つまり売れた200万枚のうち売上が入ってくるのは150万枚ほどで、5万枚弱はただで配っていた訳です。

で、プレス代、配送料、プロモーションそして税金を払えなくなり、パーローとドーヴァーは税務当局の差し押さえを受け、アーロンにはまったく印税が払われなかったとのこと。ヒットしちゃったばっかりにつぶれたわけです。
「何をやってるか分かってないニューオーリンズの人間が行った最悪の商売」と、後にアーロンは言っていたそうです。

内容はけっこうストレートなラブソングなのですが、実はそのような哀しい哀しい曲です。


カバーはソウル系を中心に、いくつかあります。同名異曲もけっこうありますが。

パーシー・スレッジはアーロンのアレンジを踏襲。


オーティス・レディングはカーラ・トーマスとデュエットで。


フレディー・フェンダーはかなりアーロンに寄せた歌い方。


ハートがカバーしたのは1980年。このバンドのことは詳しくないのですが、アン・ウィルソンが情感たっぷりに歌っています。シングルでリリースしたのち、ベストアルバムに収録されたようです。


最後にアーロン本人のセルフカバー。1982年のネヴィル・ブラザースのライブ盤です。


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