スポーツリノベーションを考える 【たぶん前編】
ご無沙汰しております。実は4月11日に、西原さん(@nishi19)のお誘いで『アフターコロナのスポーツリノベーション』というオンラインイベントに参加させていただきました。
もうしばらくは大会が中止になったり、無観客試合になるだろうという状況で、今改めて、「スポーツの価値は?」「スポーツはこれからどうなっていくのか?」と考えるきっかけになりました。
登壇者の方々、そして参加者の方々も豪華な顔ぶれで、ただのしがない学生の私は隅っこで小さくなって聞いてました(笑)(オンラインなのに)
しかしその顔ぶれの豪華さよりも、様々な方面からスポーツに関わる人がこのイベントに集まったことが、今回大きな価値をもたらしたのではないかと勝手に思っています。きっと、立場によって、不安に思うことや問題意識は違うと思うから・・・。
イベントレポとは言っても、ただの議事録は求められてないなと察したので書くのに時間がかかってしまいましたが、いくつか抜粋して自分の考察と共にまとめていこうと思います。
アスリートが「ただそれだけ」でいる時代はもう終わっていると思う
これはプロのアスリートに限らず、私が大学スポーツを見ていく中で、学生アスリートにも日頃感じていることでもあります。あまり偉そうなことは言えないのですが、もっと自分自身で環境を作りにいってみてはどうか、もっとセルフプロデュースしてみてはどうか、という気分にさせられるのです。
まぁきっと、私の知り得ない色々な事情があるのでしょうけど、大学スポーツはもっと地域やファンに対する還元があって良いとも思っています。
皆さんがどうだか分かりませんが、一人のアスリートを追うときに、試合や練習過程だけでなくSNSもチェックすることがありませんか。前者がスポーツの価値の体現だとしたら、後者はアスリートの価値の具現化ではなかろうかと思ったりします。(発信するところまで込みで「具現化」ということです。伝わらなければ、意味がないですから・・・。)
これはあくまで仮説ですが、従来はアスリートの価値は付加的な要素だったのかもしれません。ただ、ウィズコロナ・アフターコロナの状況下で、それらの価値は両輪で在って、相互に作用し合うということはないでしょうか。
(詰まるところ、CSRからCSVへの転換、あるいはCSRをCSVに昇華しようということでもある。?)
スポーツコミュニケーターの役割
では、スポーツと社会をどうやって繋いでいくか・・・なのですが、長尾さん(@AkiraNagao)が紹介してくださった「科学技術コミュニケーター」のような、アスリートと一般市民を繋ぐ存在が今後求められていくことに、可能性を感じました。
▼西原さん、板谷さんも、ご自身のnoteで触れられています。
スポーツにしろアスリートにしろ、『価値』というのは目には見えないあやふやなもので、時代とコンテキストとともに移り変わっていくものです。こういうものを言語化して分かりやすく表現するしんどさは、哲学科にいて十分味わいましたとも・・・。
アスリートが発信することには大きな意味があるものの、スポーツコミュニケーターの介入によって「ある程度分業しようね」、という感じですかね。スポーツコミュニケーターの、第三者的視点とコミュニケーションの専門家的表現は、きっと発信の幅を広げる手助けになれると思います。コミュニケーションというのは双方向が前提ですからね。
正直言うと
イベントでの議論を咀嚼した感も、自分の中にあるものを言語化しきった感もないし、あんまり理解してないで書いてます。私が文章を書くとき、本来であればもっと噛み砕いた表現や具体的な表現をするのですが、上手くいっていません。
今回はこのあたりで筆を置きますが、このnoteは「今日のところはこのように思っている」くらいのつもりで読んでほしいです。きっと、思考はどんどんアップデートされていくから。
そして、いつになるかも書くかどうかも分からない【後編】は、現地と在宅のこと、eスポーツのことに触れたいと思います。