カープダイアリー第8457話「黒田博樹球団アドバイザーと新井貴浩監督がカープを現場で引っ張って行っている本当の意味」(2023年12月7日)
カープ球団が黒田博樹球団アドバイザーとの来季の契約更新を発表した。1年契約。マツダスタジアム内で鈴木清明球団本部長と黒田アドバイザーが話し合いを持った。ただし“続投”は規程路線だから形式的なもの、だ。
マツダスタジアムをカープが本拠地としたのは2009年から。それ以前の旧広島市民球場時代、鈴木球団本部長は松田元オーナーの“特命”を受け、長らくほぼ孤軍奮闘状態にあった。
2004年の球界再編問題では球団自体が消滅の危機に瀕し、12球団最低レベルの経営力はますますじり貧になっていた。
2005年限りでの松田元オーナーが最も期待する山本第二次政権の終了と、ほかに監督のなり手がないため窮余の策となったマーティ・ブラウン起用。その2年後、2007年の黒田博樹、新井貴浩同時“流出”…
その後7年を経て、ふたりが同時に再び広島に“復帰”した際、初めてマツダスタジアムの年間指定席が完売となり、カープ人気が頂点に達したという事実…
端的に言えば黒田・新井の2枚は、カープ球団の過去と今と未来におけるスペシャルカード、だ。
黒田アドバイザーは「男気」で旧広島市民球場スタンドを沸かせた際も、メジャー挑戦を表明した際も、カープ復帰を実行に移した際も、一度たりとも「松田オーナー」の名を口にしていない。
出てくるのは「鈴木さん」とのやりとりだけ。”出戻り”した新井監督もそうだ。
ファンや、あるいはメディアは、どこまでこの大きな事実に気付いているのか?
2022年12月10日、大野二軍合宿所に併設された屋内練習場。
黒田アドバイザーの初仕事は直立不動で耳を傾ける新人10選手を前に行った“訓示”だった。
自身の失敗談も交えつつ、プロの世界の厳しさも伝えたつもりだった。最初が肝心だし、気が付けば周りに置いていかたりする。でも、それではもう手遅れ。時間は待ってくれないのだ、と…
そのころ、関係者の間では黒田・新井体制の長期政権を予想する声が多々、上がっていた。
「オリックスを見ても、阪神を見ても大事なのは投手力。黒田アドバイザーと新井監督、そして藤井ヘッド。この3人がどうチーム作りを進めるか?」
「けっきょく監督選びの最後は緒方、新井の二択になって新井監督になった。5年後なら緒方元監督もいい年になるから難しい。下手したら7年ぐらい、と新井体制は続くのではないか。もし、新井監督がポシャッたら、それじゃ誰やるのか?となりませんか?」
前日6日に広島市西区の広島サンプラザホールで開催されたBリーグ公式戦の始球式で“登板”した新井監督は、満員のアリーナ席に向けてこう言った。
「種目は違えど、同じ広島にあるプロスポーツチームとして、ドラゴンフライズのみなさまと一緒に励まし合い、支え合い、広島に元気を与えられるようにがんばっていきたいと思います」
「私たちカープの選手もそうなんですけど、きょうもたくさんのファンのみなさんにご来場いただいています。みなさまの声援と言うのは選手に力をくれます。きょうも、たくさんの声援でドラゴンフライズのみなさんを応援しましょう!」
もし、その場に佐々岡前監督や緒方元監督が立ったとしたら、果たしてこうした言葉をごく自然体で、聞く側への訴求力を持って述べることができただろうか?
東日本大震災危機におけるプロ野球選手会長の大役もこなした新井監督はカープ、プロ野球を超えた影響力を有しており、その新井監督が最も頼りにする黒田アドバイザーも同様の存在だ。
カープ日本一を目標に据える言動は、幅広い対象に向けてリーチする。ふたりが苦楽を共にしながら今後も活躍し続けることは、広島スポーツ100年を考えた場合にも特別な意味を持っている。