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なんで落語を始めたのだろう③

朝起きると、一度下がっていた息子の熱が39.0℃超えるようになっていた。さすがに心配になった。病院に連れて行った。診察の順番がなかなか来ず、診察券を出してから結局4時間後に診察が受けられた。だけど診察は一瞬で終わった。

クスリをもらって帰宅すると、熱はすっかり下がっていた。診察を待っているときがしんどさのピークのようだった。これやったら、診察しなくても良かった?と一瞬考えた。どっちにしても回復兆しが見えたことはよかった。

なんで落語を始めたのだろうシリーズも佳境である。

9月の落語発表会。プロの落語家さんと同じ高座で、出囃子が鳴り、見台に子拍子を打ち付ける。はじめて尽くしの体験で緊張と興奮がないまぜの状態であった。

ぼくは1番手の登場であった。緊張しまくる。はじめて高座にあがるのにトップバッターなのだから緊張はハンパやなかった。逆にはじめてで勝手がわからないから変な緊張を持つことがなかったともいえた。

出囃子がなり、高座に上がり、子拍子を打って、客席に挨拶した。顔を上げるとお客さん全員がぼくの顔を観ていた。ぼくはお客さんの顔を見渡した。

ぼくの演目は「犬の目」であった。最初はぎこちない入りではあったが、少しウケるとリズムが出てきた。リズムが整うと、ウケる箇所が増えてきた。

ウケると楽しい。お医者さん役のおちょくり具合がウケた。ますますエンジンがかかってきた。

エンジンがかかると(調子にのると)セリフが飛んでしまそうになった。表現が難しいが調子に乗ることと気分よく話せることのバランスを考えないといけないと後から思った。

この回は、最後までトチらずにウケた形で終演した。お客さんからの反応も良かったようだった。

落語を通して自己を表現することができた瞬間であった。とても気持ちがいい、サイコー!。あぁ、こんな体験を自分だけするのはもったいない、と思ったぐらいだ。

発表会が終わり、打ちあげに参加したが、楽しすぎた。同じ目標をもって稽古し発表した仲間とのビールの味は格別であった。またやりたいと思った。

おもろいキャラの自己を全開放できる体験をしてしまったので、もう落語の沼から逃れることができない身体になってしまったのである。

こうして年少から大人になり、封印していたおもろいキャラを日の目に出すことを覚えたのだった。


もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。