「語彙力」<「いいまわし術」
語彙力があることは世間一般、特に教養の部分においては良いとされている感じがあるように思います。僕も語彙力が多いと良いとされる本を読んで、その通りだと思い、語彙を多く仕入れていました。が、仕入れた語彙を披露されることはなく、披露する機会があったとしても、必要な語彙が出てくるはずもないまま、学んだはずの語彙は日の目をみることがありませんでした。
落語家さんをみると、語彙は多いような気はします。いや、多いかなぁ?そんなこともないような気もするなぁ。どっちだろうか。
ただ、確実に一ついえることがあります。それは、いいまわしのパターンが幾千ものあることです。(僕調べ)
同じ内容のことを言い方を変えて、発しているんですね。しかも何回も。
これって、実は仕込みであることが多いのです。なんの仕込みかというと、答えは寄席に行くと置かれてあります。
落語にふれると語彙力よりいいまわし術のほうが大事なんじゃないかと思うようになりました。
本で読んでいた語彙力がマスト的なものって、ほんとはどうなの?って。高座に上がらない語彙をいくら蓄えていても使うことなければ意味がない。
寄席に行って注意深く、落語家さんのいいまわしを聴いてみてください。落語の奥深さ、思慮深さが見えてくるはず、と思います。
って、つらつら書いていたら、寄席に行きたくなってきた。
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もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。