落語の存在意義とは
これだけ休みが続くと、曜日感覚がなくなる。参加予定だったオンライン講座をすっぽかした!と焦っていた。が、今週は開催がお休みの日であった。すっぽかしに気づくまで5,6時間かかっていた。結果、お休みだったからよかったが、普通に大事な場面ですっぽかしてしまいそうで少しビビった。予定は毎度確認しなければと反省した。
今日もオンラインサロンの集まりがあったので参加した。「こらんぷ亭一教」として参加すると、以前から一度話ししてみたかったと言われた方とお話しすることができた。
やっぱり、落語には興味が引かれるんだなと思った。落語は神社仏閣と関連することをお話しすると、興味深く聴いてくださった。ぼくも話ししながら、落語が神社仏閣と住民を結びつける重要な役割みたいなものがあることに気がつくことができた。また、意識することなかったが、ぼくもある種その役割に関わりをもっていることにも気がついた。
その役割の意味をぼくはまだ理解していない。けれども必ず意味的なものが潜んでいるに違いない。そう思うと、落語に関わっているぼくという存在意義はなんだろうと考えてしまう。
しかし、そんなことを考えるより、落語発表会で笑っていただくことを考えないといけない。それには稽古しかないのだけども。。笑っていただくことがぼくの当面の存在意義であるといえるのか。
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