俯瞰力と落語

昨日、俯瞰点の話しになった。その方は「自分には俯瞰する力がない」と言った。また他者からも「あなたには俯瞰する力がない」と言われたそうだ。

その方の話を伺っている限りでは、俯瞰力が高いように思った。それは年少のときに養われていたようだった。にもかかわらず本人は俯瞰する力がないと思っていた。

俯瞰の定義がご本人が考えていたものと違っていたのではないかとぼくは思った。

落語をやっていると、俯瞰する力が自然と身につくと思っている。自然とがみそである。おもしろいポイントをあらゆる角度で検証する癖がついてしまうのである。なぜなら、ウケたいからだ。

ウケるために自分がおもしろいと思う部分にフォーカスし、登場人物、背景、状況、時間などの要素と重ねて、聴き手におもしろいと思ってもらう、表現を考え、稽古し、本番に挑むのである。

狙いどおりウケたときは、至福の瞬間となる。ただ、ほぼスルーされるのであるが。。。

あらゆる角度や立場でおもしろい部分を検証するため、俯瞰する力は自然と身につくと思うのです。

おもしろいかどうかは別にして。

昨日、俯瞰点の話しをした方と俯瞰が養われた年少のときのエピソードから現在に成すことの意義について話が大盛り上がりした。やっぱり俯瞰力が高いやん、とそう思った。

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いっきょう_木本 努@落語×人生キャリア開発
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