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伝わる工夫をしつづける落語

落語をやっている理由のひとつとして伝わるように話しができるようになりたい、ということがある。

伝わるというのは、むつかしい。伝えると伝わるは違うとよく言われる。言葉では違いはわかるけども、感覚として理解できないでいる。

「なんで伝わらへんねん」と伝わらないことを相手のせいにすることが多い。相手の反応を観て伝わったかどうかを判断する。実はこれが伝わっていない原因なのかもしれない。

落語の場合は、笑ってなければ、伝わってないなと、ある程度判断できるひとつの基準がある。(ただ、笑っていないかといって伝わっていないとも限らないけども。。)

少なくとも笑ってなければ、笑ってもらう工夫はする。笑うという基準においてはその目的を達成するための工夫はするのである。

日常生活においては伝わったかどうかの基準が置きにくいように思う。ただ、何か基準を設定できれば判断がしやすくなるのではないか。

今後そのあたり研究をしてみたい、と思った。

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いっきょう_木本 努@落語×人生キャリア開発
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