非日常の日常
ぼくは、毎日落語の稽古をしている。言い換えると毎日落語に携わっているといえる。
落語の寄席で意識的に行われていること、”非日常”を提供することだとぼくは捉えている。
そうでないと、金屏風や赤い毛氈を敷いた高座、お囃子などなくても良い。日常と違う空間を演出するために必要なことなのだろう。
厳密には来場したお客さんの頭の中に非日常を作る為の仕掛けだといえる。寄席の席に入ると日常から非日常に切り替わり、現世から意識を切り離してくれる。
落語の仕掛けは、現代のエンターテイメントにおける非日常を演出するヒントとなっていることが多いのではないか。
僕は落語の稽古を毎日している、ある意味、非日常が日常となっているともいえる。すっかり毒されている。
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