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息をのむ(つづき)

昨日は、話がバッティングしてしまう、ということを書きました。

桂文華師匠と話をしていると、話がバッティングしないなと、ふと思ったことがありました。ぼくとだけではなく、周りにいるメンバーともバッティングがみられない。メンバー同士はゴチゴチとバッティングしまくってるのに。

そうしたなかでも、文華師匠と話し相手がバッティングしそうになったことがあるのです。そのとき、僕は見たのです。

それは、バッティングしそうになった瞬間、文華師匠が息をのんだのです。すると、相手はバッティングせず、話しの腰が折れることなくスムースに会話が進んでいったのです。

僕の中では、驚愕な出来事でした。息をのむという行為が何事もなく会話をスムースに運ぶのです。

さっそく、僕も意識して真似ようとしましたが、これがなかなかむつかしい。一方、文華師匠は、常に息をのんで会話をスムースに運んでいる。できる、できないの違いは、やはり人間観察力の差ではないか、それは寄席でのお客さんの状態観察を常にしていることが大きな要素ではないかと、ぼくは考えています。

息をのむ、をやってみるとタイミングがあったときは、確かにストレスなくスムースな会話に、もっというと、相手の調子が上がってくる感じがあるように思います。

けれども、やっぱりむつかしい。付け焼き刃ではなかなかうまくいかないですが、修行として続けていきたい。

コミュニケーションの妙は息をのむことで決まるのかもしれません。

もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。