背景を考える
落語をやっていることで得られたものがある。まったく意図したものではなく、気がついたらそういう癖がついてしまったというスキル。それは、背景を考えることである。
落語には登場人物がいる。一人でその登場人物を表現しなければならない。”誰か”と演じるのではなく、一人で演じるのだ。
当たり前のことを言っているようだが、落語が他の芸能と違う点を一つ上げるとすると、一人で全部演じてしまうことである。
AさんとBさんのやり取りを聴き手にわかってもらう。Aの人格とBの人格をその場で演じることとなる。
演者はAとなり、Bとなるのだ。それはAの気持ちとBの気持ちを同時に理解する必要だとぼくは考えている。演者によってAやBへの理解はさまざまだ。ただ、理解する姿勢が重要だと思うのです。
噺を理解するためにAやBの存在の背景を考えることに至ったのである。このことは、全く意図しておらず、気がついたら身についた癖となっていた。
この身についた癖は、落語以外で大いに役にたつことになる。続きは別途書こうと思っている。
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