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ただはじめるが、最強のメソッド

やりだすまでが、めんどくさかったりする。ぼくのパターンだ。やればいいのに、やりだすまでグダグダしてしまう。

今日も、久しぶりに発信ものの資料をつくろうかとワードファイルを開いたが、めんどうになって、ファイルを閉じた。

この資料はやらなければいけないものではなくなっていた。以前はやらなくてはいけない資料だったので、開いてグダグダしながらも、一度始めると、ガッツリとつくったのだった。

落語の稽古も、やりはじめるまではグダグダしてしまうことが多い。やり始めると、最後の方はノリノリだったりするのだけども。

どうも、やりはじめる前の動機が重要らしい。やらないといけないが一つの動機である。

やり始めると、最後はノリノリになっていることが多い。やりはじめはグダグダしてしまう。でも、やらなければいけないという動機があるとやりはじめてしまう。

やらなければいけないという動機がないと、やらないということになってしまう。

最近、自分の行動で気づいたことがある。それは、なにも考えずにやりはじめることだ。目的があると良くもわるくも、始めることに負荷がかかる。けれども、目的なく考えなくはじめると負荷がかからず、最後はノリノリになっている。

目的がある場合は始める前の気分に影響される。が、目的がない場合は、ただはじめることができる。余計なエネルギーを使わなくて良い。

このところ、目的ありと目的なしでのパターンでブログを書いている。すると目的なしで書くほうが文字数が多いことに気がついた。

落語の稽古も、目的なく、ただセリフを口ずさむと、稽古になっている。最後はノリノリなのだ。

ただはじめる。最強のメソッドなのかもしれない。

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