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落語は見えないものを見える化する芸能

ネタの面白さをお客さんに伝わるために必要なこと、
それは台本には出てこない文脈が伝わったときだと考えています。

台本の字面だけを追って演じても、お客さんの脳内には映像は映らず、面白さが伝わらないように思います。

というか、稽古中によく指摘されることです。。
演者の想像力が聴き手の想像に影響をもたらしているといえそうで、実際その通りだと思います。

ゆえに、台本の情報だけでは足りず、自分なりに噺を掘り下げる必要性がでてきます。掘り下げて想像することで、受け手の中で想像を喚起することになるのではないかと僕の中で仮説を立てています。

「掘り下げて想像するけども、演じない」稽古中によく言われることです。
なにか「君臨すれど統治せず」みたいな格言ですが、ものすごく意識しています。

掘り下げて想像まではよいが、想像したものを演じようとすると、余計な情報をおくってしまい、受け手の想像することの妨げとなっていくようなのです。

落語は見えないものを見える化する芸能だとぼくは捉えているのですが、見える化するのは、あくまでも受け手であるお客さんの中で行うのですね。

すると、演者はお客さんの見える化のための存在であるのだろうか。なにか、ちょっぴりさみしい気がした。


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いっきょう_木本 努@落語×人生キャリア開発
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