染み付いた才能
先日の落語の稽古指導の中で、印象深い言葉があった。
といった内容であった。
僕の中で、深くささった。ふたつあった。
ひとつは、「染み付いた才能」として置き換えて聴いたことだ。染み付いているがゆえに、できてしまう。磨けば、もっと伸びるのに、成長するのに、なまじっかできてしまうがゆえに、ある程度で満足してしまい止まってしまうこと。
ものすごく輝いている能力なのに、実は本人が一番自覚していない。もったいない。見ている側が、歯がゆい思いにさせれてしまう。
もうひとつは、「染み付いた才能」は自分では自覚できにくいことだ。才能は人から伝えられ、自覚の芽生えが生えてきて、大事に育てる中で、確信した自覚に育っていくのだと、おもった。
「体に染み付いた間」を持っている塾生をうらやましく思った。
同時に、「優れた才能」をプロである文華師匠から示唆されていたことに、激しく悋気しているぼくがいた。
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