食の「旧常識」が崩壊していく
グルメリポーターってデブでメタボに決まっている。グルメ旅と言えば、美味しい物を腹一杯食べる、食べ放題飲み放題が定番です。
でも年取ってくると大食が出来なくなる。お酒もちょこっとで事足りる。
グルメ旅が少食系グルメ旅足らざるを得なくなって来る。
一日三食も食べてると胃もたれして来る。そうなると一日一食とか二食でいい。そうなんです、そんなにどうしても何が何でも食べたい物なんて無いんです。美味しく無くても別に構わない。味覚刺激による「舌福」を敢えて追求する必要性も無いし。
そう言えば最近お肉も食べてないな。たまに思い付いて鶏の唐揚げを買ってみたりする。人類も人工肉を経て、何れはベジタリアン化していくのかもしれない。動物を殺して食べるといった残虐行為に動物愛護の見地から顰蹙(ひんしゅく)を買い始め、皆自然と肉を食べなくなっていくのかもしれない。
そのうち大食い番組や早食い大会の中継で視聴率ゼロの時代が来るかもしれない。
そもそも食べると言う行為は一体何だったのか?物質を口に放り込み始めたその起源を、改めて問い直す時期が来たのかもしれない。
物を食べなくなったら死期が近い。此れまでの常識ではそうだった。これからの新常識では、食べなくなってから逆に不老不死になっていく。常識とは人々の拠り所、つまり信念と妄念の体系であった。例えば昔は天動説が正しかったみたいな。聖書は正しいとか進化論は正しいとか。
それって本当に正しいの?本当は嘘なんじゃない?定説は覆される為にあるんです。常識は新常識に取って代わられる運命にある。
そのうち、あれっ今週何も食べて無いなあ、まっいいかといった具合に食への関心は薄れていく。
人類には飢餓に苦しむ時代があった。それで食べれる時に、食い溜めしとかなくちゃと、飢餓時代の反動として、「飽食の時代」即ち「癌と糖尿病の時代」がやって来た。
さてそうなると次に来るのは、食べても食べ無くてもいい、「少食の時代」もしくは「不食の時代」なのかもしれない。急にそうなる必要も無くて、ゆっくり時間と年月を掛けて徐々にそうなって行けばよい。性急に変えようとすると却って疲れる。
定番の代わりに新定番を持って来ればいい。ティータイムがあって、ランチタイムが息抜きでも有った訳だから、急に無くす必要も無い。急に肉食を止める必要もないし、急にメタボを辞めるのも苦痛だろうから、じっくり時間をかけてなんなら何回か転生を挟みながら変わって行けばいい。
時が経つと言うのも「気のせい」とか「勘違い」の類かもしれないし、歳をとっていくのを止めて、若返っていっても別に構わない。毎年誕生日を祝うから年取っていった可能性も考えられる。歳を聞かれて何歳ですと答えるから年をとるのかもしれない。
時代によって栄養は足りなかったり、摂りすぎて病気になったりする。時代によって適正な食は変動していく。医食同源を万人が会得した訳では無いから、食のせいで病む人も当然出てくる。大食漢が居て、小鳥食の人もいる。「食べるから病む」、それは食べなきゃ死ぬと旧常識に洗脳された人たちにはかなり困惑する事態に違いない。
かつて物質を食べたり、飲んだりした、そんな奇妙な時代も有ったそうな、それは笑い話として語り継がれる事だろう。
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