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外界もしくは世界

人間は世界とか世界情勢、政治とか経済に振り回されながら生きている。それは世界もしくは外界が存在すると思い込んでいるからである。

自分は世界とか外界とどう関わるのがベストなんだろうと疑問を抱いたにしても、誰も答えを教えてはくれません。勿論、学校でも教えてはくれない。

人間は五感によって外界を認識する。つまり、外にある情報を内に取り込む。この人嫌い、この人は好き、あれは気に食わん、彼奴はけしからん、その判断の正しさは誰が保証しますか?
要するに、自分の個人的主観、自分のエゴの勝手な意見に過ぎず、さして意味が有りません。

こういう場面では、怒るべしと「条件反射」を習得していったに過ぎません。その条件反射的反応が正しいと言った根拠は全く無い。だから、怒るべき場面で泣いてもオーケーなんです。このシチュエーションでは、こう反応すべし、これではロボットやAIと同じです。

世界や外界は、「認識」するか「首を突っ込んでいく」か「対決」か「追いかけ廻す」かの何れかでしょう。

それら一連の行動様式は、何れの場合も人は幸せには成れません。的外れな行動だからです。

「認識」するのを止めた時、人は幸せを手に入れる。条件反射を辞めれば人生は上手くいく。でも辞められない止まらない、だから人類って不幸なんです。

世界が存在しない事に気づけないんです。でも世界が無いと、世界が無い事に気づかないのが人間だからたちが悪い。肉体が無いと自分が存在する事さえ気づかない、其処まで無知化してしまっている。だから、其処から出発するしか無い。

世界とは、世界が存在しない事に気づく為のツールである。


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