ディスりとリスペクト
この世を善人と悪人に大別して、アイツは悪人や悪い奴や、だから軽蔑してやろう、憎んでやろうと「憎しみ」を募らせる。
その「憎しみ」をメディアで煽り増大させる。
こうしてこの世にはっきりと「憎しみ」を存在させ、その憎しみの分だけ、貴方の「愛は減少してしまった」のです。
「愛の明らかな減少」は、結局アイツは許せん、武力に物を言わせようとなって、殺し合いスタートです。
隣国同士がディスり合い非難の応酬になったりします。
来年のお盆辺りは、ウクライナとモスクワで盆踊り大会なんかやって、ゼレもプーチャンも輪になって楽しめないものか?
そうしないと人類滅亡ステージへと向かいます。
人間は他人を見下すことで自分を偉くみせたがる困った性質がある。
或る人をリスペクトした分だけ、別の人をコテンパンにディスったりします。
「人類全員を一人残らずリスペクトする」ことができないのです。
貰った武器を横流しして、私腹を肥やす軍幹部たちをとてもリスペクトなんて出来ません。
プーチャンも悪人だし、ゼレもワルです。両方ともワルだから、軽蔑すべき対象で、とてもリスペクトなんてしたく無い。
ゆえに「あんたが大将」とゴマするなんて出来ません。
でもそれだと貴方は、「消滅していく三次元空間」と心中することになります。
他人とは、「自分の或る一面の反映」に過ぎません。
国民を犠牲にしながら、自分は豪邸を建てて、優雅に余生を送る大統領を、リスペクト出来る訳が無い。
けれどもそれ自体が、自分の内奥に潜む、ずるく意地汚い自分自身の一側面の反映なのです。
人は、自身の内面に在る醜さを、他人を見ることで気づかされるのです。
人間80億人全員が多少なりとも悪人です。だからこそ世界各国で、集団強盗や集団万引きが横行しているのです。
にも関わらず、万人をリスペクトしながら、ディスるのを止めて生きていく。
これは簡単そうで実に難しい人生ゲームです。
別の言い方をすると、「鬼は外、福は内」という考え方を止める。
人間は、「世界は存在する、世界は実在する」、「外界は自分の外に間違い無く存在する」と、「信じ切って」生きています。
それは外界を信じ、外界に振り回され、外界にパワーを与えた生き方、つまりは「自分は無力で無能な存在」と「信じ込んだ」人類の意識形態なのです。
それ故、自分を取り戻すプロセスとは、「外界の内在化、外を内に取り込む作業」なのです。
即ち「内は外なり、外は内なり。」と気づいていく。
そうなると、世界は自分の外に在る「外界」では無くて、自分の内側に在る「内面になってしまいます。」
つまり世界とは自分であるし、他人とは自分の一側面なのです。
だから自分をディスらず他人をディスらず、自他共にリスペクトオンリーで生きていく。
それが「超人間的な生き方」、詰まりは三次元人類を超越した、高次元人の生き方なのです。