お金の神常識 6 「所有欲からの卒業」
第一章 「所有欲からの卒業」
ポルシェが欲しい、プール付きの大邸宅が欲しい、地位が欲しい、名誉が欲しい、人間の欲望って本当切りが無い。
その果てし無い欲望や願望を叶えるために人は「引き寄せの法則」を編み出した。こうすれば成功間違いなしですと。
これら一連の全体像を俯瞰すると、「欲望とその充足」、お腹が空いたから満腹感を感じたくて大食して、「お腹パンパン」とお腹を擦って満足感を表現する。これを繰り返すうちに生活習慣病に陥り、遂に脳梗塞で一連の決着を見る事になる。
最初の欲望ってそもそも生じる必要って有った訳?其処が大いに疑問です。だが欲界の住人たる人間は其処に何の疑問も懐きません。何故なら「自身の全体像を俯瞰できない」からです。逆に言うと、性欲を募らせてやれば、死ぬまでセックスする「壊れた機械」になり下がる危険性がある。
欲界の生き物とはそうした低次元の存在なのです。
さて「欲望とは何か?」と改めて問うてみると、外なる何かを所有したくなる衝動と言う事ができる。
車、不動産、邸宅、女、それらが欲しくて我慢できない。だがポルシェ100台あれば満足する?ポルシェに飽きてフェラーリにします?車じゃ空も飛べないし詰まらんよ。
外にある何かを所有したって本当はさして愉しく無い。むしろ何も所有しない方が自由で楽しいのである。
欲望しないでいられる自分の方がむしろ自由を謳歌できると思いませんか。欲望が生じて来ると言うのは、実は自分の中に「不充足感」つまり「不満と不幸」が芽生えたのである。内なる自分に自然と不充足感が生じて来ると言うのは不幸そのものです。そして「内なる不幸」を「外に有る何か」で満たそうとする「代償行為」が欲望の正体だったのです。
本当の処、自分の内なる不充足感は、外なる何か、物やお金では満たされえないんです。自分と言う内なる心は心自身の充足感で満たしてあげるしかありません。つまり引き寄せの法則で外なる何か、成功や名誉を引き寄せるのでは無く、外なる何かを引き寄せなくていい安堵感、所有欲を生じない歓び、それを「全き自由」とか「無一物中無尽蔵」と言うのでしょう。
欲望とその充足とは、まず欲望しあれこれあくせく努力し、やっと成功に辿り着く「苦難のプロセスを愉しむゲーム」なのです。言い換えれば、最初に充足有りきじゃ無いんです。
まとめると、先ず自分の中に無価値感と欠乏感が有って、「価値ある何か」は自分の外に有る。だからその外に有る価値を追い求めてあくせくする。もっと稼ぐにはもっと働けと鞭で打たれる、そうまるで奴隷のような人生でした。
第二章 「価値観の激変」
今まで「自分は無価値である」と言う無価値感から人類はスタートしたので、では価値は何処にあるかと言うと自分の外に有った。つまり、「お金には価値が有る」「土地には価値が有る」「暗号通貨に価値が有る」、だけど「自分には価値が無い」、だから汗水垂らして働いてお金を得るしか無い。
これからこうした考え方は、パラダイムシフトして全く違った世界に突入する。
するとどうなるか?「お金に価値なんて無い」「土地に価値は無い」「暗号通貨に価値なんて無い」と言い出す人が増えて来る。自分の無価値感を手放した人たちは、「価値が有るのは自分自身なのだ」と気づき始める。自分の豊かさこそがプライスレスと悟るのである。逆に大富豪である事に価値が見い出せなくなって来る。そのうちお金はこの世から姿を消していきます。
纏めると、自分の中に充足感がまず有って、その充足感を引き寄せる形で自分や世の中が豊かになって行く。これが高次元の姿なのです。
「奪い合い騙し合い盗み合う世界」から「与え合う世界」へ、「有限から無限へ」とパラダイムシフトする訳です。今は未だ奪い合いと騙し合いの真っ最中です。