仕事と労働
「働きたくない、仕事辞めたい」と内心思っている人は、少なく無い。
それは労働が仕事になっているから、嫌になるのでしょう。
労働と言うのは、やっていて楽しくない。
子どもは、遊ぶのが仕事です。
それなのに「勉強しなさい」と言われるから、いやいやしぶしぶ勉強する。
これでは勉強も楽しくない。
自分の好きな科目だと、やっていて樂しいから、勉強と言う感じはしなくて、愉しみとか趣味とか娯楽と感じられます。
要するに、義務としてやる勉強は、面白くないんです。
仕事は義務だから、趣味や娯楽に成りにくい。
まして労働は、責務とか重労働となって来て、仕方なく嫌々やりがちです。
「肉体労働は、身体が鍛えられて最高だ。」と言える人は少ないはず。
「働きたく無い」は、「労働したく無い」であって、「仕事したく無い」とは違う。
詰まり、「樂しい仕事ならしたい」のです。
だからきつい仕事や辛い仕事は、AIやロボットに任せて、人間はもっとクリエイティブな仕事に移行したらいい。
「私の仕事は散歩です。」「植物採集です。」とは言えるが、「私の労働は散策です」とは普通言わない。
賃金労働者とは言えるが、給与所得者と言うのが一般的です。
と言う事は、労働者をどこか蔑(さげす)んでいる。
私仕事中毒なんです。
労働中毒じゃ無いです。
「もう仕事なんか辞めて、ワクワク人生ワクワク生活に突入したいです。」
でも人類はワクワク人生をリスキーと考え、安全策として公務員志向になる。
「ワクワクイコール安全安心」と言う発想には成り難い。
でもワクワクこそが宇宙がサポートする最高最善の道なのです。
ワクワクが、安全でなくリスキーに思えてしまう人類に潜む強い恐怖感は、本当に厄介です。
結局、人類は未だワクワクとか情熱が分かって無いんでしょう。
だから嫌なのに結局、労働に従事してしまう。
労働が安心の場所化しているのです。
私は、仕事が趣味で生き甲斐です。
仕事が楽しくて仕方がないです。
遊ぶのが私の仕事です。
遊び人と言うのは、聞こえが良くない。
「遊んでないで真面目に働け」と言われてしまう。
結局、あれも欲しいし、此れも欲しいから、トリプルワークしか無いか?
切り詰めても、プチ贅沢はしたいし。
元来無限に豊かなのに、人間は有限と制限を身にまとい、貧しい振りをして生きる奇妙な生き物です。
何時になったら、自分は豊かな存在なのだと、気づくのでしょうか?
ともあれ、仕事と遊びと勉強と趣味と生き甲斐が、程よくミックスされた「理想の仕事」を、私は見つけたいなあ。
労働を辞めても、仕事は無くならない。
そして人間にとっての究極の仕事とは、「自分自身で在ること」なのです。