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ゴーイング マイ ウェイ

「人生は苦である」と誰かが言った。
人生は生存競争だったり、出世競争だったりする。

それで世間の荒波と闘っている時に、身内や家族から、「駄目亭主」「甲斐性無し」「粗大ゴミ」「役立たず」と口撃されたら、少なからず落ち込む。或いは不機嫌になったり、誰かに八つ当たりしたくもなる。

だが自分の人生は他の誰でもない、自分自身の物なのである。自己中、ナルシスト、頭オカシイ、何と言われようとも自身の人生を全うしなければならない。つまり他人の口撃、身内や家族からの口撃にも怯むことなく前に進まないといけない。

そしてその時初めて自身が「個としての自分」を確立できるのである。

さて、自己防衛とか自己卑下とか自己実現と言う時の「自己」とは、「エゴの自分」なのか、「本当の自分」なのか?エゴの自分を自己実現させてもそれは自己満でしかない。

人間は、脳神経の神経回路に支配された自分と、心臓とハートに支配されたい本当の自分が、対立しせめぎ合い人生を複雑怪奇なものにしている。

潜在意識とか集団意識としての自分は、個としてのありのままの自分をなかなか認めたがらない。

だから何時もその都度事有るごとに「自分とは何か」と再定義し再確認しながら前に進んでいくしかない。

自己中でいい、自己満多いに結構、そう言う人の方が却って他人に思いやりがあったりするからややこしい。

自己中心的な「則天去私」では駄目でしょうか?

自分探しの旅は、幸せの青い鳥探しに似て、灯台下暗し的である。

「何も無い街です」と言われて、人々は田舎を棄てて都市に集まる。そして都会は、廃れて何れ廃墟になる。

人間が都会に集まるのは、自分に自信が無いからかもしれない。

人生の指針とは、この際「マイウェイ、マイペース」と言うことになる。




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