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永続性と瞬時性

「一期一会」というのがあります。今この一瞬というのは、二度と無い一度限りの出逢いであり出来事なのです。

つまり何万回輪廻転生を繰り返したにしても、今この一瞬は一度限りなのです。だから大切にしたいし、一秒たりとも無駄にしたくない。

栄華を極めたソロモン神殿も、滅びてしまえばただの廃墟です。

ベストタイミングと思って、乗り込めたタイタニック号は沈み行く運命にあるのです。

タイミングをほんの少しずらせば、あの人は殺人鬼と出遭うこともなかった。運悪く殺人鬼と抱き合った事で、あの人は帰らぬ人となりました。

あの日何時もの散歩コースをあの時刻にタイミング良く通りかかった為に、連続殺人の犠牲者になったのです。もしもあの日虫の知らせで別時刻に別ルートを散歩したならば、あの人は殺人犯と出遭わずに済んだのです。

「偶然」「運悪く」殺人犯と鉢合わせしたのでは無くて、ベストタイミングとは何かを学ぶために、あなたは殺人犯と「因と縁」を結び、犠牲者になるのです。

つまり「ベストタイミングを信じる」、それが正しい生き方なのです。バットタイミングと出遭う、そういった人生を選択しない習慣を、身に着ける必要が有るのです。

運悪く高値で不動産を購入してしまう。それは「運悪く」では無くて、「必然的」にあなたが選択したのです。

偶然たまたまミサイルの着弾するビルに居合わせた、そうでは無くて、あなたは魅せられたように其処に引き寄せられたのです。

「一期一会」を学ぶために、そんな経験を積み重ねているのです。


さて自分とは何でしょうか?一度限りの人生で、たまたま殺人犯と出遭ってしまったり、たまたま関東大震災と遭遇する。幾つもの輪廻転生を繰り返す中で、そう言う事も有り得るでしょう。

自分を「悠久性」とか「永続性」と見做(みな)せば、何万年前は確かこうだったと思い出す事でしょう。

その一方で、自分を「瞬時性」と見做せば、一秒前の自分を覚えている必要も有りません。瞬時に生じて、瞬時に消えて行く素粒子の自分と見做してもいいのです。

こう考えるメリットは、過去の自分に固執しなくて良い事です。病気で苦しんでいた過去の自分と全く別バージョンの、元気はつらつな自分に生まれ変わってもいいのです。

つまり過去の自分は、瞬時に死んで、今新たに瞬時に産まれ、フレッシュな自分として、人生を謳歌しても良いのです。

言い換えると、過去の自分はその都度ナノ秒単位で死んで行き、ナノ秒単位で「新生自分」として誕生している訳です。一秒前と全く別の自分を許可したのです。過去の失敗を後悔してうじうじしていた自分と、あっさりオサラバして、日々新たに生きていいのです。

この瞬時の自分を至福とかエクスタシーに持って行き、その「瞬時の至福」を「永続化」させ「悠久化」させて行く。何とも都度の良すぎる自分なのです。

ツイてない自分を卒業していく。即ち山火事の起きてないハワイを体験する。つまり山火事と出遭わない直感力を身に着ける。人生とはその為の修行の場とも考えられます。

その為には、日頃から「ツイてない」と言う言葉をそもそも口にしない。「ツイてる」としか言わない自分にバージョン変更してしまう訳です。

無数の並行現実が、あらゆる可能性として既に存在していて、そのあらゆる可能性の中から、最悪のタイミングや最善のタイミングを自分がその都度選択しています。

こっちに行ったら殺人犯と鉢合わせするから止めとこう。こっちに行ったら、大不況と出遭うから止めとこう。

こうして人生は、阿弥陀くじ的に進んで行きます。バットタイミングやベストタイミングを模索しながら、瞬時性や悠久性を選び取っていきます。被害者を演じたり、加害者を演じたりしながら、主役や脇役を演じ切ります。

宇宙人に拉致されたり、美人AIと結婚したりしながら、メタバース世界に嵌(は)まっていくのです。

邪悪な宇宙人と闘っても、がん細胞と闘っても、幸せには成れません。闘いからの卒業は案外難しい。人類は戦争ばかりして来たから。

そっちの水は苦いぞ。其処に住むから自宅が水没する。その電車に乗るから脱線事故に遭う。タイミングを少しずらせば、難を免れる。これはベストタイミングの研究です。

それが「同行二人的生き方」とか「ハイヤーセルフの視点で生きる」と言う事なのでしょう。



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