1/23から十天体順行、 「新しい自分の爆誕」
第一章 「アセンションを阻止する方法」
人類を何が何でもアセンションさせたくない連中が居たとします。彼らはどういった手を使って貴方のアセンションを阻止して来るでしょうか?
それは簡単です。あなたの意識が「自分に向かわない」ようにすればいい訳です。つまり、外界に釘付けにすればいいのです。と言う事は、何時も何かしら事件を起こせばいい。人々の関心を常に外界に向けさせればそれで良い。具体的にはそれがスポーツ、芸能、性欲、食欲等なのです。例えばあなたはグルメだったりして、まんまとトラップされてしまいます。そんなこんなで結局貴方は自分に目を向ける事も無く、あえなく一生を終えて行くのです。
第二章 「遠くに居る神」
あなたの願いは神には届きません。何故って神なんてものは、空の彼方の遠くの方にいるイメージだからです。神さまが「今ここ」に居ないとやはりきついです。「願えば叶う」と「願いは叶う」は微妙に違いますね。普通の人の「願いは天に届かない。」ではどうすれば届くのでしょうか?天を空の彼方の遥か上空とイメージしなければいいのです。今ここに貴方の直ぐ横に神さまが居るとイメージすればいいのです。いやもっと正確に言うと、自分の真横に居てもいいけど、自分の内奥に居るからこそ間違い無く確実に願いは叶えられるのです。
第三章 「幸せになりたい」
皆んな本当は、「幸せになりたい。」だとしたらそれを阻んでいる要因を一つ一つ取り除いていくしか有りません。ストレス社会に生きてストレスフリーを手に入れるにはどうすればいいのでしょうか?
お釈迦様は考えました。人生には苦しみが一杯あります。その代表が四苦だったり八苦だったりします。これら四苦や八苦をどうしたら取り除けるのかあれこれ考えてみました。四苦を四楽に変える方法は無いものかと。
幸せの追求って矢張り人生最大のテーマです。人生はストレスが多くて疲れます、だって「人間だもの。」と言う事は、人間やってる限り幸せには成れないのかもしれません。いっそのこと人間を止めてしまいますか?人間を卒業して神か仏か菩薩か宇宙人になる、或いは進化して高次元存在になる、そうすれば幸せになれるに違い有りません。
でも事は簡単では有りません。人間を辞めさせない勢力がそれを全力で阻止して来ます。あなたマイホーム欲しいでしょ、車欲しいでしょ、ラーメン美味しいよ、飲み放題で3000円安いよ、可愛いお姉ちゃんいますよ、ちょっと遊んでかない?こうしてあなたは結局低次元意識体として計らずも一生を終えてしまうのです。幸せはまた次回に先延ばしですね。
第四章 「幸せは今ここに有り」
人間は「山の彼方の空遠くに幸いが住む」と教え込まれて来ました。つまり幸せは、「遠くにある」つまり「入手困難」だから「苦労と努力の果てに」辿り着くしかないと信じ込んでいます。そう言う訳で、例えば悟るにしても、苦しい難行苦行の末に辿り着く、そう言う意味で人生はいばらの道と教えられて来ました。人生って重荷を背負って歩むことだと云われて来たのです。
第五章 「洗脳を解く」
ではこれらの刷り込まれたマインドコントロールをどうやって解いていきましょうか。全ての物事を「そんなの簡単だ」と言ってから始めます。シンプルにシンプルに考える、難解でも無いし難しくも無いと決めつける、全てが今ここに直ぐ近くに既に有ったと気づいていく。こうして四苦八苦は四楽八楽に反転させ、難行苦行は楽行易行に転換出来るのです。
言い換えると、今まで生き地獄に居た人を、天国やパラダイスへと道案内してあげる、痛みや苦しみが軽減される生き方を提案して差し上げる。成功哲学や引き寄せの法則も、地上での成功や幸せを研究してきた成果ですし、宗教や哲学や社会思想も、人々の幸せを未だに模索中なのです。
現世ご利益で充分と思う人もいれば、来世ご利益も欲しい、魂の幸せを追求したいと言う人も居ます。知的好奇心を満足させたい人も、詰まる所は宇宙の真理に辿り着きたかったりします。
では宇宙の真理って何でしょう。こうなると宇宙エネルギーとか宇宙意識とか生命エネルギーについて語りたくなります。意識とエネルギーの関係は?「肉体の死」と「不死」の関係はどうなっているのでしょうか?まあ色んな疑問が湧くから人生は退屈しないのです。
幸せな状態とは、貧しさや飢餓に苦しむ事じゃ無い、詰まりは「豊かさ」の探究でも有ります。豊かになるにはどうすればいいの?バシャールに教えて貰ったり、エイブラハムに聞いてみる。アファメーションなんかもしてみる。宗教や社会思想で幸せに辿り着けると信じる人々も居ます。一方で、そうしたやり方では無理と思う人も居ます。聖書に答えが書いてあると信じる人は、その道を信じて歩めば良い。また法華経好きの人は、その信じる道を突き進めば良いでしょう。
第六章 「宇宙に丸投げする」
要は自分と言う意識の状態性が良くなればそれで良いのです。それには自分は先ず「今ここに」居さえすれば良い。何もしなくて良い。それでもちゃんと生きているし生かされている。心臓は勝手に鼓動してくれています。つまり「生命」とは、今自分が生きているとは、宇宙からの「贈り物(ギフト)」なのです。
では私は宇宙に「生かされている」、それだけでしょうか?そんな事は有りません。あなたは「愛されている」し、「豊かさを与えられてもいます」、つまり宇宙や神さまは「与えたがり」なのです。だから人間は素直に「受け取りたがり」でいればいいのです。それを「私は罪人(つみびと)だから受け取る資格は有りません」と辞退するから、宇宙は困惑して遠慮がちに与えるしか無いのです。
宇宙エネルギーと言うのは、そもそも「自らの全能性」を満喫したいのです。「あなた望む人」、「私叶える人」みたいに役割分担するしている訳です。つまり行動の星と言っても、実現の99%は宇宙とかハイヤーセルフがやってしまうのです。それでも人間はそれで自分がやった気になれるのです。
第七章 「他人をジャッジしなくていい安堵感」
それで他人をジャッジしない生き方は人間に果たして可能なのでしょうか?人間って放っておくと、他人にダメ出ししたいし、何かとケチをつけたいし、陰口を叩きたい。そうする事でストレス発散をしています。「内政干渉しないで下さい」としつこく言っても、隣国をあれこれ非難したい生き物なのです。これは「非難したい病」と言う病気なのです。
人間界と言うものは、兎角「裁くから裁かれる世界」、非難合戦の世界になり易い。だから他人をジャッジしない生き方って高次元の生き方なのです。他人に無条件の自由を認めるから、自分も無条件的に自由なのです。人間はつい癖で他人に一言言いたくなります。「あの人ってこういう人なのよ」と他人を定義してしまいます。放っておいてあげる事が出来ません。あなたが裁かなくても、裁判官が裁かなくても、人は自業自得的に宇宙に裁かれるから放っておけばいいのです。エゴの自分が他人を裁く必要など有りません。「他人を裁かないゆえに、私は誰にも裁かれず、全き自由を謳歌出来る訳です。」
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