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「一度切りの人生」と「十億回目の人生」

「私は未来からやって来ました、何か聞きたい事ある?」

そう得意気に話す人が居ます。

彼は何故わざわざ未来から過去にやって来たのでしょうか?

実は彼は自分でも気づかず「過去に執着し、過去のトラウマに悩まされているから、過去に迷い込んでしまったのです。」

臨死体験をして、過去を見て来たと言い張る人がいますが、それは過去を見て来たのでは無くて、自分の欲しい過去を自身が創作したに過ぎません。

一度切りの人生と思うから、新鮮味があるのです。「十万回目の古女房との腐れ縁なんです、何とか成りませんか?」とか洒落に成りません。

さて、一度限りの人生か、十万回目の輪廻転生か、何れにせよ、今この人生が一番大事なのは間違い有りません。

十億回目の輪廻転生を、無限無数個の並行現実のなかで、生きる私は「一即多で、かつ多即一。」

詰まり、一つでありながら無限無数でも有る。虚数でも有り、実数でも有る。

不可視でも有るし、可視化可能でも有る。

それで過去に生きたり、未来に生きたりしながら、今を疎(おろそ)かにするのは良くない。

未来人は過去にトリップする事で、未来から逃げ出したと言えなくも無い。

時間の無い空間で、無時間的に永遠を嬉しむことは、無意味な生では無いはずだ。

一度切りの人生を百億回分楽しめれば文句は無い。




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