空間とは何か?
空間とは何だろうか?空間とは「空間と言う存在」なのだろうか?それともその中に存在を生み出す単なる容器なのか?
空間はビッグバンによって生じたと言う。つまりビッグバンが無かったら空間も存在しない。
時間も空間も存在しない時、其処に有るのは「無」なのだろうか?
「無が有る」と言う言い方はおかしい。何も無いから無なのである。
いや本当の無と見せかけの無が有るのか?無から有を生み出すと言った時、その有を生み出す無は本当の無では無いのではないか?
―273度は絶対零度と呼ばれるが、「絶対無」とか「全き無」は存在可能だろうか?もしかしたら有を生み出しうるのは、この「全き無」なのかもしれない。全き無が自分と言う意識もしくは視点を創造した。自分と言う意識は、絶対無が生み出した「無数のあぶくの一つ」だから、生じてはパチンと弾けて消えるを無限に繰り返している。
空間とは意識を生み出す土壌、言い換えれば空間が意識へと進化したのである。自分と言う意識の生滅が分かれば、恐らく生死の先に何が有るかが分かるだろう。
自分とは有である。そう思い込むから自分は有限性の中に放り込まれた。人間は自分を有と信じて疑わない。自分とは宇宙です、宇宙空間です、つまりは私は空間なんです。そんな事を言い出す人はいない。空間じゃ無くて物質と思い込んでいるからである。
無は無であり続ける事に飽きたから、有を生み出すのだろうか?あるいは無が無である意味を自問自答する為に、有になってみたのかもしれない。
有限存在は何処まで行っても有限で有り続け、無限へと進化する事はない。つまり自己の存在が時間的にも空間的にも限定され、死を免れない。つまりmortalな存在は最初から有たる自分を選択した時点で決定されていた。
有もしくは生は、空間の凝縮によって生じ、霧散によって消滅する。言い換えれば、死とは空間への回帰、凝縮から霧散への変容である。生命とは二重螺旋構造と言う竜巻が発生しそれが消滅するまでの一連の現象である。大気と言う空間の一部凝縮が竜巻を発生させる。宇宙空間は回転しなければ、唯の虚空で有り続ける。
私の過去世は宇宙空間でした。エジプトの神官では有りません。それは過去に遡り過ぎだが、其処まで遡らないと存在の本質、自分の根源は摑めない。自分探しの一環でルーツ探しをする人がいるが、アダムとイブまで遡らないと中途半端で終わる。過去世を辿るにしても普通数万年前までしか辿らない。それでは何も見えて来ない。宇宙創世まで行かないと深層は闇の中で終わるしかない。