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存在とは意識の見る夢である
夢の世界は、現実世界と同格同等のリアリティを有している。ヴァーチャルリアリティで感じる恐怖は、現実と何ら遜色(そんしょく)ない。それは何故なのか。世界は、実は実在せず、単なる現象であり、仮象だからである。それはあの世に行けば、直ぐに納得がいく。思念と現実がイコールなのである。さて意識は、前世の記憶の残像を種(タネ)として今生を創る。遺伝子は三次元身体を伝承し、意識は今生記憶を来世に伝承する。それは、有限から有限への伝承、つまり限られた寿命と有形性の伝承である。だから本当の自由や永遠の生命では無く、子から孫へ擬似的永遠としての子孫を伝承する。尚かつ、自分の意識も擬似的永遠として転生を繰り返す。それは、真の永生の比喩として擬似的永生に過ぎない。不生不滅の比喩としての永遠の生命である。方便としての永遠の生命に過ぎない。